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まち歩き笠置町1390 笠置山・笠置寺 案内

2020年10月03日 17時40分25秒 | まち歩き

 

明治30年(1897)JR関西線開通に際し、笠置駅が設置されたが、当時は史跡を探勝する人は少なかった。その後、昭和7年(1932)笠置山とその山麓の木津川一帯が史跡名勝地として国から指定されて以来、来遊するものが増えてきた。

笠置山 「鹿鷺(かさぎ)山」ともしるす。高さ289m。全山すべて花崗岩からなり、山中には奇岩・怪岩が多く、人目をおどろかせる。

笠置寺はこの山の山頂付近にあって、古来弥勒信仰の霊山と仰がれ、中世には山伏修験者の修行場となった。花山法皇や藤原道長も来山したことがある。

後醍醐天皇がこの山を拠点とし、北条勢と合戦されたことから寺は荒廃した。

この山へ登るには柳生街道に面して新旧二道がある。旧道はけわしいが、切込谷や地獄谷・下の堂・上の堂(仁王堂跡)・名切り石など、元弘の役をしのばせる遺跡があり、新道は乗用車でも登ることができる。

 

 

 

 

 

 

 

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時代祭行列 明治維新時代 維新志士列 桂小五郎

2020年10月03日 08時00分27秒 | まち歩き

 明治維新の志士と云われる人々は、徳川幕政の末期における公家・武士の知識階級層の人達で海外の事情にも通じた人が多くいました。当時は開港・攘夷など内政外交とも問題が山積していましたが、幕府にその処置をとる力が無くなっていたため、憂国の志士達が身を挺して国事に奔走しました。維新の大業はこれら幾多の人々の大きな働きと犠牲とによってその基礎が築かれたのです。
 ご祭神孝明天皇百年祭を迎えた昭和41年(1996)に、これらの志士たちを顕彰する維新志士列が加わりました。志士の多くは20~30歳代が中心ということもあり、京都青年会議所が担当奉仕しています。

桂 小五郎

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       桂小五郎・幾松 寓居跡

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       桂小五郎の銅像

       石碑中0166 池田屋騒動址

 

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