アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

寺院笠置0726 笠置寺 笠置石

2020年10月07日 21時58分39秒 | 寺院

 

左から  薬師石 笠置石・真ん中の隙間に挟まったような石・1.5m程  文殊石

 

 

 

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院笠置0725 笠置寺

   次回の記事 ⇒ 寺院笠置0727 笠置寺 十三重石塔・重要文化財  五輪石塔

下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます


時代祭行列 明治維新時代 維新志士列 七卿落 先導 真木和泉

2020年10月07日 07時45分10秒 | まち歩き

1863年(文久3年)、薩摩藩・会津藩などの公武合体派が画策した八月十八日の政変で失脚した尊王攘夷派の7人の公家が京都を追放され、長州藩へと落ち延びた。なお、7名のうち、公卿の列にあるのは、三条実美と三条西季知の両名だけであることから、二卿五朝臣といった言い方もある。同月24日には、彼らの官位が剥奪され、さらに、同年9月9日、彼らの諱はそれぞれ、( )内に改めさせられる。三条実美(実)、三条西季知(知)、四条隆謌(謌)、東久世通禧(通)、壬生基修(修)、錦小路頼徳(頼)、澤宣嘉(宣)。この7名は長州藩兵に付き添われて洛東にある妙法院に集結した後、兵庫津を経て、海路で長州藩の三田尻港(現・山口県防府市)を目指した。

先導するのは 真木和泉守

幕末の志士。筑後(ちくご)久留米水天宮神官。名は保臣(やすおみ)。従5位下和泉守の官位を持ち,和泉と通称。水戸に遊学,会沢正志斎に師事。1862年脱藩上洛して尊王攘夷,討幕運動に活躍したが,寺田屋事件に連座して一時幽閉。のち許されて再び上洛したが,文久(ぶんきゅう)3年8月18日の政変により七卿とともに長州に下り(七卿落),1864年禁門の変に敗れ,自刃。

関連記事 ⇒ 道標八幡0225  山崎等  三宅石板碑

時代祭 行列 前回の記事 ⇒ 時代祭行列 明治維新時代 維新志士列 高杉晋作

       次回の記事 ⇒ 時代祭行列 明治維新時代 維新志士列 七卿落 先導 久坂玄瑞