2019年10月26日 撮影
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本尊弥勒磨崖仏
笠置寺本尊仏
古来より天人彫刻50尺の仏といわれているが調査の結果では奈良時代中期には彫刻されていたようで天人とは中国大陸から来た人たちのようである。
磨崖仏前の礼堂が創建から三度火災にあいその都度本尊磨崖仏も火をあび彫刻された表面は焼け崩れてしまった。しかし、平成22年秋特殊カメラとその技術で残った線を探したところいたるところから最初の彫刻線がみつかりその線をつなぎ合わせ完成されたのが堂内の画像で1300年前の本尊50尺の弥勒磨崖仏のお姿である。
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姉小路公知
天保10年12月25日(1840年1月9日)、公卿・姉小路公前の子として誕生。安政5年(1858年)、日米修好通商条約に反対し、廷臣八十八卿の指導者として活動した。文久2年(1862年)9月、右近衛権少将となり、幕府への攘夷督促の副使として、正使三条実美と共に江戸に向かい、勝海舟と共に江戸湾岸の視察などを行う。
のちに国事参政となり、三条と共に攘夷派の先鋒となったが、文久3年(1863年)5月20日の夜半、深夜朝議からの帰途、京都朔平門外の猿ヶ辻で3人の刺客に襲われる。扇を振い、刀を奪うなどして奮戦して撃退するも、頭と胸に重傷を負い、帰邸後の翌日21日未明、自邸にて卒去(朔平門外の変)。享年25(満23歳没)。墓所は京都市上京区の清浄華院。
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