カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ぐんぐん歩く

2007-08-30 | 散歩
 朝から少しだけ距離を伸ばす。ぐんぐん歩く感じが自分でも心地いい。
 高速道路からガンガン何かを叩く音が聞こえる。前の晩から引き続き工事が続いているのか、それとも早朝から始めているのだろうか。そういえば会議の折に通った際にはこのあたりを工事していたと思い出す。昼夜通して作業を続けているものらしい。高速道路と平行して通っている小道の上からのぞいて見ると、実に大勢のおじさんたちが黄色い車に挟まれて作業をしていた。心の中で「おつかれさん」と声をかけて、僕は先に進んでいった。
 公園という場所や、ちょっとした広場があると人が集まっている。ラジオ体操の時間らしい。子供が多いが、遠巻きにけっこう大人も混じっている。なんとなく扇状に整列して体を動かしている。向っている方向はラジオ受信機らしい。なんとなくラジオ様という雰囲気がある。これ以外でラジオの威張れる場面はあるのだろうか。
 職場でも早朝ラジオ体操をするが、僕はちゃんと体操ができない。音にあわせてタイミングよく体を動かすことが、つらくなってしまった。なんとなく調子は合わせたつもりで、自分勝手に体を動かしておしまい。いつの間にかわがままになって、ラジオ体操ができなくなってしまったのだ。
 子供の頃は体育部というのが確かあって、校長先生などが話をする台に上って見本となって体操をしたことがある。そういう記憶があるのだから、もともと体操ができなかったわけではないのである。人間は成長するようで退化もするということであるが、横着な性格は獲得されたものでもあるのではないか。いまさらあわせるつもりはさらさらないが、そうであれば、もう僕は元には戻れないということなのであろう。失われた青春は戻らないのである。

 職場では多くの人が日中に草払いをしたようだ。炎天下でおでこに熱冷ましシートを張りながら作業する人もいた。
 金網につたが絡まって、ジャングルのようになっている。植えている梅の木にもつたが絡まり、こんもりとした緑の固まりになってしまっている。道路わきの草が伸びて、車の離合がむつかしくなった。切っても切っても後からどんどん伸びてくる感じだ。
 日本という国は、自然の猛威があるので、人間を勤勉にするのではないか。手入れをしなければどんどん自然が人間社会を侵食してしまう。人間の方もそれを恐れてどんどん土をコンクリートやアスファルトで固めてしまう。土を残すと、このように草を払わなければならない。
 中国などは禿山が多い。一度木を切ると、後から生えないものらしい。それをある人は人間の歴史といった。僕はたぶんそれは違うと思う。自然の状況と人間との付き合いの問題であって、日本人なら木を植えるだろう。日本はなんとなく貧乏臭くて、誠実なのだ。
 父が上海に疎開した時は、庭に芝生が植えられていたそうだ。元は西洋人の邸宅だったのだろう。祖母が芝を剥がしてイモを植えたらしい。祖父はそれを見て、日本人は貧しいなあ、とつぶやいたという。
 自然と向き合う姿勢は時代も関係があるようだ。僕らは草を払って、付き合う道を選択したのである。どこまでもコンクリートで固めてしまえるわけではないのだ。

 日が傾く頃にもさらに足を伸ばす。前の方を歩いているかなり太目のおじさんを目標にしていたが、その影がどんどん遠くなる。意外なことに歩くスピードがかなり速いようだ。途中で目標を見失い、単調な長い道を自分なりに蛇行しながら歩いた。新興住宅街で、変化の乏しい道である。明日はどこか違う場所を歩こうと思う。どこに車を止めたらいいものか思案しながら歩いていた。前の方で走っている細身の女性が、いつまでも遠くならない。彼女は走るのが遅いなあ、と思いながら、いつの間にか対抗心を燃やして早足になるのだった。
コメント
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