青葉家のテーブル/松本壮史監督
元々は短編のドラマだったものを長編映画化したものらしい。料理上手の母親と息子、そしてその知人カップル(ちょい若い成人)が共同生活を送っているらしい。そこに母親の友人の娘が、しばらく居候することになる。息子君はほのかな恋心を抱くようだが、さて、どうなることやら……。
母親と居候の娘の親は古くからの友人のようだが、今は著名でちょっとしたお洒落な店を開いて成功しているようすである。そうして以前に、何か二人には問題があったもののようだ。母親はその友人に会いに、店まで出向くことになる。
特にドラマチックなことは、起きていないような気がする。淡々と、本当に淡い感じで物語は進んでいって、これはいったいどういう意味なのか、考えあぐねた。こういうちょっとした工夫をして、おしゃれに暮らすことができるというスタイルを提示しているのかもしれないし、あえてドラマ性というよりも、そういう感情の機微というものをなんとなく感じさせて、勝手に想像を膨らませる狙いがあるのかもしれない。観ている方は、楽しくなりそうな予感だけでそうならないので、退屈してしまうのだけど……。
「サマーフィルムにのって」があまりにも素晴らしかったので、その監督である松本壮史作品である本作に対して、期待が大きすぎたのかもしれない。どうも短編ドラマ作品も、やはり何気ない日常にありながら、こじゃれた家具に囲まれて、おいしそうな料理を食べるというコンセプトもののようで、その後日譚として長編の映画も撮られたということなのだろう。そういう感じをそのままに観るべきものなのかもしれない。僕はそういう事情に親しんでいなかったから、その世界観そのものを、まずは理解する必要があったのだろう。
バンドをやったりして楽しそうではあるんだけど、やっぱり僕らの青春とは別の次元の人々の話、という感じが終始した。それは当たり前すぎるほど当たり前のことで、普通なら違うからいいところもあるということなのだが、共感するという意味では、あまりにも遠い人々の話で、いっそのこと、本当に北欧に暮らす人々の青春だったら、もっと共感できたかもしれない。日本人としては、なかなかに難しいところなのである。