L.A.コールドケース/ブラット・ファーマン監督
2パックとノトーリアスB.I.Gという二大ヒップホップスターが個人的に喧嘩したことが発端として、それら二人の確執がニューヨークとロサンゼルスという都市のギャングたちの対立へと拡大し、二人のスターはともに暗殺されてしまう事件が実際に90年代に起こった。この事件はさらに複雑で、黒人が安易に白人警察から射殺されてしまうという事件とも絡んで社会問題化し、警察の信頼の失墜ともつながっていた模様だ。アメリカは警察が誤って事件を起こした場合でも、民事の訴訟で警察という行政機関が債務超過に陥るような事態にも発展する国なので、これ以上財負担ができない警察組織は、たとえ人種問題が絡んだものと認識していても、ちゃんとした捜査をしないで処分を急ぐ傾向にあった(社会問題化させたくないため)。その為にかえって黒人警官がギャング組織と絡んで、強盗や麻薬などの犯罪とつながっているケースにおいても、見逃されるということが起こっていた。それらの事件を丁寧に捜査しようと一人の刑事が動いていたのだが、大きな思惑の中に、自由を奪われて、逆に窮地に陥っていくということになっていくのだった。
過去の捜査をさかのぼって俯瞰して見ていこうとするジャーナリストの男と共に、現役時代に事件を解決まで持ち込めなかった元刑事との間とのやり取りをめぐって、この事件の全貌を明らかにしようとする。事実を題材にしたフィクションだが、ちゃんとモデルとなった人物もいるようである。
僕も当然当時の二人のラッパーのことは知っていたのだが、何しろラップ界のことだから、日本人としては距離のある話だった。彼らのファッション・センスやスタイルというのは、日本人である僕には、とてもかっこいいものとは思えなかったし、なんだかその表現そのものも、むしろダサいとしか感じていなかった。自由であるのは構わないのだが、やたらに攻撃的で、仲間以外はぜんぶ敵という態度も、(彼らの受難が背景にあるとしても)どうにもついて行けないという感じだろうか。改めて映画でその当時の空気感というものをみるにつけ、アメリカはやっぱり大変だな、という印象は受けるものの、だから黒人が良いとか悪いとかいうよりも、やっぱり対立より対話だよな、とも思うのであった。その前に彼らは殺してしまうので、たちが悪いのだけれど……。
映画としては、内容が複雑なことになっているのにひっかけ問題のようなものが結構あって、ますます混乱させられる。もはや正義対悪という図式すらよく分からない。簡単に人は殺されるが、それに見合う罪の償いは、いったい誰がやったというのだろうか。今もラップ・スターは、時にギャングめいた行動をしているようにも見えるが、この事件を脱皮するのに成功したのだろうか。今やヒップポップも、以前とはまるで違ったものにはなっている。アメリカの中の文化や価値観は、うねりながらも変わり続けているのかもしれない。