アメリカン・ギャングスター/リドリー・スコット監督
イタリア・マフィアなどが中心になって麻薬取引が行われていたニューヨーク。そこに麻薬売買組織のボスの運転手だった黒人の男が、東南アジアで直接麻薬栽培組織から買い付けを行い、圧倒的に質が良く値段も安い麻薬を売り、大成功を収めることになる。しかしながらマフィアではない彼の家族である組織は、汚職警官をはじめ、様々な麻薬関係者に金を配り、身を守っていたのだった。一見カタギのような商売を続けながら、見た目は質素に規則正しく暮らしているようにしながらも、だんだんと麻薬捜査の目に留まるようになっていくことになっていくのだったが……。
あくまでマフィアではなく、家族を使って麻薬ではあるが、地道な商売をやってのし上がっていく黒人の男なのだが、幸福な結婚をし、家族全体も潤い、有り余る金でもって生活が豊かになり、いわゆる絶頂期を迎えることになる。そうして彼は数百万はするだろう毛皮のコートを着て、ボクシングの最高の席を確保し観戦する。そこに麻薬組織を追って捜査を進めている検察の特捜班の目に留まることになってしまう。同時に麻薬捜査をしている警察の悪徳軍団にも目を付けられ、みかじめ料を要求されるようになる。転落の予兆である。しかしすでに多くの権力を手にしている男は、そういう汚職警察のやり口が気に食わない。マフィアも使いながら抵抗するが、ついに妻の命まで狙われるようになるのだった。
独特の緊迫感があり、麻薬販売という悪の権化のような仕事をやりながら、ある意味で堅実な道を歩み、家族には尊敬をされる存在にのし上がる男の実話をもとにしている。もちろん映画としての脚色があるものなのだろうが、これが犯罪録として成り立つということに、驚きを隠しえない。悪の成り立ちもそうなのだが、なんと言っても警察にはびこる汚職の根深さにである。この映画が絶頂と転落の男の人生を描きながらも、一種のカタルシスのあるエンタティメントになっているのも、そのような物語性にある。犯罪組織を追っている検察の男の生き方にも、ある意味でアメリカン・サクセスの精神性がみられる。命を懸けてもやるべき仕事がある。それは、単に悪の撲滅のためだけでは無いのかもしれない。
ちょっと古くなってしまった映画だが、デンゼル・ワシントンもラッセル・クロウも、ともに若く脂が乗りきっている。映画とはこうでなくちゃというノリも素晴らしい。そういう意味でも、職人監督リドリー・スコットの名作といいっていい映画なのだろう。