カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ちょっとした悪が、巨悪との対峙となる   ありふれた教室

2024-11-18 | 映画

ありふれた教室/イルケル・チャタク監督

 ドイツ映画。ある中学一年くらいのクラスで、盗難事件が続いている。先生たちは犯人を捜しているが、新任で担任をしている女教師は、大人と子供の対峙の仕方に戸惑いがある。学校側の捜査は、多少強引すぎるのではなかろうか。匿名で疑わしい子を教えてほしい、などと、生徒たちの分断をさせている感じなのだ。
 一方でクラスの中では、やはり他にもいろいろと問題はある。カンニングを見つかっても認めない子供とか、一人だけ机の向きが違い、協調性のない生徒だとか(問題発言もする)。女教師は、それなり奮闘し、生徒たち一人一人に気を配り、クラス自体はコントロールしているかに見えた。一方職員室でも盗難事件は起こっており、女教師はパソコンのカメラを使って自分の上着にお金を入れて録画していた。そうして写っていたのは、教務で仕事をしている事務員のブラウスの模様だった(顔までは分からない)。表ざたにはしないので、正直にお金を返してくれたらいいと事務員に持ち掛けるが、拒絶。仕方が無いので校長先生に証拠の録画を見せて対応してもらうと、事務員は逆切れして帰ってしまった。そうしてこの事務員の息子が女教師のクラスでの優等生だったのだ。息子の生徒は、女教師に反抗的になり、クラスは混迷し、先生たちからも盗撮をして証拠を作ったことで信用を失っていくのだったが……。
 サスペンス映画と言ってよく、事実が素直に提示されているにもかかわらず、相手の行動が意外過ぎて、何が何だか分からなくなっていく。女教師は、比較的フラットに相手のことを考慮しながら行動しているにもかかわらず、どんどん加害者サイドの人間として、孤立していく。そこらあたりの描き方が実にサスペンスフルで、なんだか奇妙な緊張感が続く。観ている側からすると、当初は何も悪く無い熱心な教師のはずだったのに、どんどん窮地に追いやられていくように見える。悪いのは相手のはずなのに、求められるのは一方的な謝罪である。もちろん拒否するが、生徒たちはありもしない推測をもって、女教師自体を追い込んでいくことを選択していくのだ。
 恐ろしい物語だが、同時にこれは、教育現場では起こりうることだということも分かる。生徒たちの発行する新聞のジャーナリズムというのは、ちょっと日本では考えられないが、仕掛けとしては面白い。それでも生徒と対峙していこうとする女教師の姿が、なんとも言えず悲痛でありながら、時には弱く、しかし、力強い。巨悪と戦う個人の見本的な姿なのではあるまいか。こんな学校日本ではちょっとあり得ないけれど、日本の教育現場も、頑張ってほしいものである。
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