福山市鞆の浦は古くから風待ち、潮待ちの港として発展してきた町。どことなく歴史と伝統を感じさせる町。
工楽松右衛門が考案した松右衛門帆布など船具を売る店、船で運ばれて来た品物を商いしていた思われ
るような店構えの商家。地酒として古くから有名であった保命酒の造り酒屋等、辻々に見かける。古き良き
時代がそっと息づいているような町並みだ。
PENTAX K-5 ” 雅 ”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮影。
福山市鞆の浦は古くから風待ち、潮待ちの港として発展してきた町。どことなく歴史と伝統を感じさせる町。
工楽松右衛門が考案した松右衛門帆布など船具を売る店、船で運ばれて来た品物を商いしていた思われ
るような店構えの商家。地酒として古くから有名であった保命酒の造り酒屋等、辻々に見かける。古き良き
時代がそっと息づいているような町並みだ。
PENTAX K-5 ” 雅 ”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮影。
広島県福山市鞆の浦。古寺めぐり なんて表示があるように、お寺が沢山ある。なかでも妙蓮寺には、おもしろい
鬼瓦がたくさんあり印象的だった。妙蓮寺は福山藩主水野勝俊からの庇護もあり、その勝俊の位牌が今に伝わる。
江戸時代を通して、朝鮮通信使の常宿でもあった。
PENTAX K-5 ” 雅 ”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮影。
古来より、瀬戸内海沿岸には数多くの湊があった。下関・柳井(山口県)、御手洗・尾道・鞆の浦(広島県)、下津井・牛窓
(岡山県)、室津(兵庫県)など、江戸時代に繁栄した湊は数多くあったが、潮流の境目(潮目)に、位置していたのは鞆の
浦だけだった。瀬戸内海の潮目にあたる場所、そこに天然の良港があるのは自然の理である。このように長い日本の歴
史の中で、地理的な偶然が、鞆の浦に「潮待ちの港」として重要な役割を担わせてきた。
瀬戸内海は、京を中心とする畿内と西海諸国を結ぶ交通の大動脈であった。そして、船運が風と潮の流れを利用してい
た時代、瀬戸内海の潮の分かれ目となる鞆の浦には、潮の満ち引きを待つ船が集ってきた。
古来より、西国に赴任する国司や防人達が寄港し、また、瀬戸内を舞台にした戦乱の拠点となり、朝鮮通信使や長崎出島
の商館長たちが宿し、北前船など多くの商船が入港し、長い歴史の中で、鞆の浦は常に活気に満ち溢れていたのだ。
鞆には、数百年来の刀鍛冶、海運の町としての、船釘や錨などの船具加工といった、伝統産業があったが、それが大正期
の製鋲、伸鉄(建築用材)生産の急伸により、鉄工業の町としてひとときの隆盛を見ることになる。
PENTAX K-5 ” 雅 ”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮影。
この建物は、母屋、土蔵が一体となった豪壮なたたずまいの建物で、江戸末期の商家である。木造2階建ての母屋は、
入り口からまっすぐに伸びる通り土間に面して、「店の間」「中の間」「奥の間」三室を一列に配し、商家の建築様式並びに
鞆の町家の典型的な間取りといえる。入口の格子や吊り大戸は、建築当初のものに復元した。土蔵は全部和釘(角釘)を
使用し、幕末頃に流行した登り梁造りになっている。
なおこの土蔵は明治末期に移築したものである。その後、明治27年設立の「鞆製網合資会社」の建物となり、魚網製造を
中心に漁具・船具を北海道から東南アジアまで広範囲に販売する会社であった。
PENTAX K-5 ” 雅 ”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮影。
鞆の港の中心部に位置する常夜燈。「いろは丸展示館」のすぐそば。常夜燈は、鞆の浦のシンボルともいえる。
灯籠燈(とうろどう)と呼ばれ船の出入りを誘導する江戸時代の灯台だった。
海中の基礎石からの高さは約10m。港の常夜燈としては日本一の大きさで、「雁木(がんぎ)」とともに鞆の浦の
代表的な観光施設となっている。現在、「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」、これら全て揃って残っ
ているのは全国でも鞆港のみである。
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鞆の浦(とものうら)は、福山市鞆町の沼隈半島南端にある港湾およびその周辺海域。現在は鞆港の港周辺の市街を
含めた範囲も「鞆の浦」と呼ぶことも多いが、本来「鞆の浦」とは「鞆にある入り江」という意味であり、鞆港を中心とした
海域のことである。沿岸部と沖の島々一帯は「鞆公園」として国の名勝及び国立公園に指定されている。
鞆の浦に含まれる島には仙酔島、つつじ島、皇后島、弁天島、玉津島、津軽島がある。 鞆町と仙酔島の間にある無人
島は、島内に弁天堂が建てられていることから弁天島と呼ばれているが、正式名称は百貫島である。
PENTAX K-5 ” 雅 ”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮影。
Wikipedia保命酒を参照。
保命酒は大坂の医師中村吉兵衛が考案した薬用酒で、万治2年(1659年)に備後の国、鞆で製造を始め、
代々中村家が独占的に製造・販売を行っていた。明治時代になると複数の業者が類似の酒を製造し保命酒
として販売し始め、現在は4社が製造を行っている。中村家の保命酒は製造法を門外不出としたまま、明治
時代に廃業したことなどから、近年まで正確な成分は不明となっていたが、2006年に中村家の古文書から、
保命酒の製法についての記述が見つかり、地黄、当帰、など13種類の生薬が用いられていたことが明らかに
なった。このため、保命酒の正式名称とされる「十六味地黄保命酒」はこれに醸造成分の焼酎、もち米、麹を加
えて16味としていたことになる。
現在の保命酒は各社とも16種類の生薬が使用されているが、前述のように江戸時代の保命酒は13種類の生
薬であるため、16味=16種という誤った解釈から成立したものである。使用される生薬は、製造元によりやや
異なり、中村家の保命酒で用いられていた梅花、いばらの花は使用されていない。製造法は味醂(みりん)の工
程を基本として、もち米、米麹、焼酎を加味し生薬を原酒に浸して造られる。
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広島県庄原市西城町油木156-14、県民の森の周囲は雑木が、まるまった枝に雪が
PENTAX K-5 ” 雅 ”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮影。
広島県庄原市西城町油木156-14、県民の森、スキー場ちかくの雪のようす
PENTAX K-5 ” 雅 ”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮影。
広島県庄原市西城町油木156-14、県民の森、小川のほとりの雪はとけそうで溶けない。
PENTAX K-5 ” 雅 ”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮影。
広島県庄原市西城町油木156-14、県民の森、中国自動車道庄原ICから国道183号を米子方面へ、
国道314号に入り木次方面へ車で38km でスキー場に着く。
PENTAX K-5 ” 雅 ”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮影。
広島県民の森は、広島県庄原市西城町油木にある。比婆道後帝釈国定公園の玄関口にあたり、総面積は1164ha。
年間を通じ登山・ハイキングの出発地として訪れる人も多い。また夏季は大自然を満喫できるキャンプ場として楽しめ、
冬季は広島県民の森スキー場としてベテランのスキーヤーから絶大な人気を誇る。公園管理センター、レストラン、宿
泊施設、キャンプ場、リフト等のスキー施設からなる。昨今の県財政の逼迫により指定管理者による委託管理に移行し
ている。
公園管理センターのつらら、文字どおり“氷柱(つらら)”だ。
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天野流和太鼓の創始者・天野 宣氏を師と仰ぎ、和太鼓を叩くことを通じ、地域に根付いた人格形成を目指し
集まった若者集団。現在、メンバ-構成は約10名だがそれぞれの仕事の関係で全員揃うことが難しく、週2
回の練習日も儘にならないのが現状。組曲「 伊都岐嶋曙光」が代表作だそうだ。
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宮島の鹿は、宮島が島になったとき(約6000年前)から島にいる。江戸時代頃から、宮島が観光地化してきて鹿も 次第に増えていった。昭和に入り、鹿の数も増えていったが、太平洋戦争の混乱で少なくなっていった。その理由 は、当時の人たちの食糧難(鹿も食糧難)と、米軍のゲームハンティングによって絶滅寸前までになった。しかし、 京都の動物園から鹿を、数頭おくってもらい現在の状態まで回復した。近年観光客の手土産をたべる、店の中にか ってにはいる、糞をする、など害が目立つようになった。廿日市市ではシカせんべいの販売をやめてもらい、宮島桟 橋の前には「エサをやらないで」という看板もたてた。「エサをやらないだけでは、絶滅の危険性もある」という事から 芝を作る事も検討されているそうだ。つぶらな瞳で見つめるシカはとてもかわいいのだが、一時の感情で自然のサイ クルを壊さないように、世界遺産・宮島の自然を守っていきたいものだ。
PENTAX K-5 ” 雅 ”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮影。
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