6日目。
巨文島での調査は最終日、と入っても、午前9時40分発の船ですから、そんなに時間はありません。今日は、これから麗水を経由してプサンまで帰ります。
朝の漁港の様子を見に行こうと思い、6時に宿を出ました。日本が植民地支配していた時期、この島はいわしやさば漁で栄えていたそうです。でも、今は取れる魚の種類が変わって、太刀魚が主だということ。朝の港には、次々と漁船がやってきては、満載された太刀 . . . 本文を読む
5日目。今日は、当時の小学校を見に行くつもりです。
巨文島にあった小学校は、日本人が主に通う学校でした。
お隣のソド(西島)にあった小学校は、朝鮮人が主に通う小学校でした。
見に行く途中で、韓国のおじいさんに出会い、当時の話を少しお聞きすることができました。冒頭の方です。
終戦時、国民学校3年生、とのことでした。この方は、朝鮮人ということで、隣の国民学校まで毎日船で通っていたということ . . . 本文を読む
4日目。麗水から最終目的地の巨文島へ。
何時間かかるのか、人によって情報が違いました。これが困ったのです。
高速船があって1時間半だという情報、高速船はすでに廃止されたので6時間かかるという情報、この二つを両端において、間にいろいろな時間の説が出てきました。
船の待合室
終戦まで巨文島で暮らしていた堀さん(右)
正解は、フェリー利用で2時間40分。上の説は両方正しく、今回のフェリーは、島 . . . 本文を読む
3日目。
40人乗りのバスに乗り込み、麗水へ向かいます。どういうわけかガイドの方がついています。
午前7時半の出発です。
荷物を二つホテルに預けて、身軽になって出発しました。
高速道路に乗って、まずは巨済島に向かいます。
ここは、植民地時代に入佐村という日本人の開いた漁村があったところにあたります。鯖漁が盛んで、数千人規模の町だったということですが、漁法や漁船の発達で漁場が沿岸から遠洋に移るよう . . . 本文を読む