AWA@TELL まいにち

南山大学で、日本語教育に携わる人材の養成を行っています。ホームページも是非ご覧ください。

日本語教師という仕事

2006年01月07日 | どーでもいいこと
日本語教育に携わりたいという人からメールをもらったり、研究室で相談を受けたりということが時々あります。
僕が日本語教師になりたいと思ったのは、1986年、17歳の時でした。
英語の授業で、それまで出会ったことのないタイプの先生に出会ったのです。
まあ、今はどうか知りませんし、僕だけの得意な体験かもしれませんが、それまでの語学の授業というのは、習った単語と習った文型を使って応えるのが正解でした。ところが、その先生は、「こういう言い方もあるよね」とか「これでも十分通じるね」という採点をしてくださったんです。
そのとき、今考えれば当然なんですけどね、「ああ、言葉ってそういうもんだよなあ」と。「正しい」というのはいったい何なんだろうと。習った文型が使えるかどうか、というのは表現手段をいくつ知っているかと言うだけの問題であって、ある場面をその言語を使って乗り切れるかどうかとは全く関係ないわけですよ。

そう思ったとき、言葉を教える仕事というものに興味を持ったんです。

さて、1988年はソウルオリンピックでした。NHKで韓国語の講座をしていました。それを見たとき、それまで英語タイプの外国語しか知らなかった僕がまた一つ衝撃を受けたんですよ。語順が同じ外国語がある、という。

「日本語が難しい」と言われていたけど文法だけ取り上げるんだったら、そんなこともないんじゃないかなと感じたのもこの時期です。

日本語という言葉が元々好きだったということもありましたが、それを「教える」という仕事に就きたいと思ったのは、上に書いた英語の授業がきっかけです。

そして、あのころは日本語ブーム。今はなき「日本語ジャーナル」が創刊された頃です。

大学ではプロフィールに書いていますが、日本語教育を専攻しました。大学に入る頃には420時間の主専攻をでないと仕事がないといわれ、大学を卒業するころには修士号がいると言われ、修士号を取った頃には博士号がいると言われ、博士号を取ろうとしたときには3年程度の経験がいると言われ、言われるハードルを越えて越えて、今の職場に来たのは2002年、思えば、1987年から15年も経っています。

どこで(国とか、学校の種類とか)教えたいかとか、そういうのはなかったので、とにかく日本語の先生になりたいというのが一番でしたね。
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