AWA@TELL まいにち

南山大学で、日本語教育に携わる人材の養成を行っています。ホームページも是非ご覧ください。

『知る』ことの重要性

2016年10月25日 | どーでもいいこと
先週土曜日に明治学院大学で『内なる国際化』をテーマにしたシンポジウムに呼んでいただき、

これからの教員には、目の前にいる日本語指導が必要な子どもたちの背景や境遇に『想像力』が働かせることが重要だということをお話してきたのですが、

『想像力』を働かせるには、何よりも、自分がどれだけの物事を知っているか、ということに左右されるということを

日曜日に遊びに行ったワールドコラボフェスタで痛烈に感じました。

今の学校の先生方は、土日も部活や授業準備などで余裕がほとんどない状態で、

本来なら、こういうイベントにどんどん遊びに出かけてもらって、視野を広げる時間を作っていただくべきなのに、

それができていないというのは、日本の教育に大きな損害を与えているのだと思います。

目の前にいる子どもたちに対処するだけでは、来年の子どもたち、5年後の子どもたち、10年後の子どもたちに与えられる教育は、今を頂点とした劣化したものにしかなりません。

毎日、少しずつ、新しいものを仕入れて、自分の中にためていく活動をしなければ、『学校しか知らない』先生に子どもたちを任せなければならなくなります。


以前、研修に参加された先生方から、

 「もっと子どもと接する時間を作りましょう」という話だったんだけど、この研修に出なかったらそれが作れてた。

というブラックな冗談交じりのお話をうかがいましたが、その通りだと思うこともしばしば。


私が子どものころは、おなかが痛くて教室を抜けて職員室に行ったら、多くの先生方がおいでになって、保健室に連れて行ってくださっていたのですが、最近の学校は、職員室にうかがっても、どなたもいらっしゃらないというほど、先生方が忙しく立ち回っていらっしゃいます。職員室においでになるのは、仕事をサボっているとかではなく、教材の作成であったり、保護者との連絡の仕事であったり、それはそれで重要なお仕事をされているわけなんですが、それがすべて、今では放課後の業務に回ってしまっているようです。
そうすると、放課後残って先生に相談したいという子どもたちの相手は誰がするのか、そんなことまで課題になってしまいます。

教育にはお金をどれだけかけてもかけすぎるということはありません。

部活やら保護者対応やらで時間を取り過ぎない環境を作る努力を周囲がしなければ解決しないことだと思います。

そういった学校の先生方の日常を『知る』ことは、周囲の人たちのしなければならないことで、それがあってこそ、教育に何が必要で何がかけているのかを想像することができるのだと思います。



既に日曜日の記事にも書きましたが、

外国人高齢者の介護通訳のボランティアの方々のお話をうかがい、

中国語しか対応していない、ということを聞いて、

今日本で働いている定住者のかたがたの老後を日本政府は地域は真剣に考えているのだろうか、と心配になりました。

いわゆる『使い捨て』状態になるのではないかと、今から心配です。

そして、今の日本社会の状況を見ると、年金受給資格がない方が高齢となって生活保護を受け取っている、ということですら批判的に扱われている中、外国人の方がそんな状況になってしまったら、おそらく、『自分の国へ帰れ』という活動をいやというほど見ることになりそうに思います。

先の戦争も、終わったとたん、朝鮮半島出身者、台湾出身者は、『日本人ではないから』と引き上げたい尚にしてこなかった『実績』があります。

必要なときだけ、というのは、その後の世代が見ると、かなり情けない思いがしてきます。

今から少しでも準備をしておく必要があるように思えるのです。


他にも、

あしなが奨学金がアフリカの子どもたちにも援助の手を差し伸べているということを聞いて、しかも、その援助を得て大学を出たという方と、直接お話しすることができたのも、とてもいい機会でした。



いいなあと思ったのは、大学のサークルや、ボランティアグループのブースを見たときのこと。

フィリピンやベトナム、カンボジアに学校を立てたり、教材を提供していたりという活動をしている大学生を見ていると、こういった人材が社会に出たときに、世界を知っているということがどれだけ自分の子どもたちの教育、社会での発言に自信が持てるようになるか、を想像することができて、わくわくしました。

愛教大の学生さんにも、もっともっと積極的に世界と関わってほしいと思いますし、

海外が苦手だなーという方には、もっと自分の知らない世界に関わってほしいと思うのです。


昨年度末、夜間定時制高校の見学に学生さんを引率して連れて行きました。

外国人の生徒さんの取り出し授業を見て、自分たちがコレまで知っていたものとは大きく違う教育現場を知る機会になったようです。
その後、学生さんがお手伝いに言ったという話は聞きませんが、まあ、これは、愛教大が交通の便の悪いところにあって学生さんが思うように活動できないというだけのこと。
こういった場で学んでいる生徒さんがいる、ということを知っただけでも、見学した学生さんが教育現場に立ったときに、より多くの選択肢を提供できるのではないかと思います。

夜間中学のほうは、生徒さんが「見られたくない」というお考えの方もいらっしゃって、多くの学生と見学に行くということができていませんが、こちらも、いつか学生さんと見学にうかがいたいと考えています。

結局、愛教大の学生さんは、比較的順調に受験をこなしてきた人たちが多く、このまま教員になってしまったら、文字通り学校以外の社会を知らないで退職まで走ってしまいそう。


学生時代に、自分の生活からは想像すらできない社会に触れて、

自分を基準と考えられない社会に接して、

視野を広げてほしいと思います。



そんなこんなで、

日曜日はフェスタでたっぷり楽しみました。

遊んだ言い訳ですが、少しでも私の目の前にいる学生さんに

日々経験する新しい情報を示しつつ、お話していきたいと考えています。


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