先月、名古屋市での「多文化共生保育研修会」に講師としてお招きいただいたのですが、終了後、集めてくださったアンケートを取りまとめていただいた資料が届きました。
過分の評価をいただいているようですが、やはり、プロの方が聞いてくださっていると、それこそ、何をどう話したらいいのかを考える手掛かりになりますし、私がお伝えしたかったことがどのくらい拾っていただけたのかを見るいい資料になります。
〇 言葉がわからないから通じない。
日本語でどの程度コミュニケーションが取れるのかを実際に体験していただき、言葉が通じたって意思疎通ができない部分があることを認識していただきました。
そのうえで、どうやったら通じるのかを考えていただいて、日本語が話せない保護者さんとのコミュニケーションの問題が「ことば」だけではないことをお話ししました。
これに対するアンケートの言葉には、「相手に話すときにどんな情報が不足しているかを考えることが大切で、自分がスタンダードではないという意識を持つことが必要だとわかった」「自分の標準、基準を相手にも求めてはいけないという言葉が印象に残った」「言葉がどれほどあいまいな表現手段かを知る機会になった」などをいただきました。
〇 わからない言葉は、言葉ではわからない
知らない語彙を繰り返し聞かされても、ゆっくり聞かされても、文字にして読まされても、繰り返して言うことができても、理解できないのは一緒。
そこに、ジェスチャーや、イラスト、そんなものがあるだけで、通じやすさは増します。
これに対しては、「ゆっくり話しても繰り返してもわからないということにハッとさせられた」「今まで繰り返し伝えていましたがなかなか伝わらず、保護者の方に謝られてしまうこともありました。これからはどう伝えるかを考えていきたい」「行程を追って話したり、予測しやすいように話を誘導していくことで伝わりやすくなると思いました」とコメントをいただきました。
〇 母語の尊重。
母語の尊重、は、今日では広く認められるようになりましたが、そこに、保護者へ敬意を払って接する、という態度が伴っているだろうか、というお話をしました。放っておくと、幼稚園の友達、先生、周りの大人といった、子どもにとって重要な人たちの話す日本語に価値を認めるようになるのは当然のことで、いくら母語を大切に、といったところで子ども、幼児には通じません。そのうち、日本語を話さない親を馬鹿にするようになってしまうことも出てきます。親子のコミュニケーションが成り立たなくならないためには、日本語が話せない保護者の方々に先生方が「困った」という面だけを子どもたちの前で見せるのではなく、敬意をもって接し、立場を尊重するという姿勢を見せることが、子どもたちの親に対する尊重、尊敬の意識を育てるという話をしました。そのうえでこその母語の尊重です。
これに対しては、「母語を大切にすることで日本語の獲得やその後の親子関係にもかかわってくることがわかり配慮してきたいと思う」「母語を大切にするという意味が改めて分かった」「保護者とのかかわり方の大切さを改めて学べた」という語意見をいただきました。
〇 「エポケー」
他の文化に接した時、目がある以上みて、鼻がある以上においをかいで、「違う」と思うことは、おかしなことではないのですが、そのあとに「変だ」「おかしい」「カッコ悪い」「だから〇〇は」といった価値づけの判断をしない態度が重要というお話をしました。それをそのまま受け入れることができれば、自分と異なる人との交流も苦ではなくなります。
「職員の世代間でもとても大切だと感じました」「マイノリティの立場に立って考えるように心掛けたい」
私自身が、言葉で情報を伝える仕事ですから、こうやって話を聞いてくださった方のご意見を見て自分の話す内容を改めています。
授業でも、『日本語教育学入門』では、毎回最後の時間には、振り返りの時間を作って、マインドマップの手法で授業内容を振りかえってもらいます。
今後も、より良い研修ができるよう、腕を磨きたいと思います。まあ、何よりも、話すことよりも話す内容のレベルアップだな。勉強しなくちゃ。
過分の評価をいただいているようですが、やはり、プロの方が聞いてくださっていると、それこそ、何をどう話したらいいのかを考える手掛かりになりますし、私がお伝えしたかったことがどのくらい拾っていただけたのかを見るいい資料になります。
〇 言葉がわからないから通じない。
日本語でどの程度コミュニケーションが取れるのかを実際に体験していただき、言葉が通じたって意思疎通ができない部分があることを認識していただきました。
そのうえで、どうやったら通じるのかを考えていただいて、日本語が話せない保護者さんとのコミュニケーションの問題が「ことば」だけではないことをお話ししました。
これに対するアンケートの言葉には、「相手に話すときにどんな情報が不足しているかを考えることが大切で、自分がスタンダードではないという意識を持つことが必要だとわかった」「自分の標準、基準を相手にも求めてはいけないという言葉が印象に残った」「言葉がどれほどあいまいな表現手段かを知る機会になった」などをいただきました。
〇 わからない言葉は、言葉ではわからない
知らない語彙を繰り返し聞かされても、ゆっくり聞かされても、文字にして読まされても、繰り返して言うことができても、理解できないのは一緒。
そこに、ジェスチャーや、イラスト、そんなものがあるだけで、通じやすさは増します。
これに対しては、「ゆっくり話しても繰り返してもわからないということにハッとさせられた」「今まで繰り返し伝えていましたがなかなか伝わらず、保護者の方に謝られてしまうこともありました。これからはどう伝えるかを考えていきたい」「行程を追って話したり、予測しやすいように話を誘導していくことで伝わりやすくなると思いました」とコメントをいただきました。
〇 母語の尊重。
母語の尊重、は、今日では広く認められるようになりましたが、そこに、保護者へ敬意を払って接する、という態度が伴っているだろうか、というお話をしました。放っておくと、幼稚園の友達、先生、周りの大人といった、子どもにとって重要な人たちの話す日本語に価値を認めるようになるのは当然のことで、いくら母語を大切に、といったところで子ども、幼児には通じません。そのうち、日本語を話さない親を馬鹿にするようになってしまうことも出てきます。親子のコミュニケーションが成り立たなくならないためには、日本語が話せない保護者の方々に先生方が「困った」という面だけを子どもたちの前で見せるのではなく、敬意をもって接し、立場を尊重するという姿勢を見せることが、子どもたちの親に対する尊重、尊敬の意識を育てるという話をしました。そのうえでこその母語の尊重です。
これに対しては、「母語を大切にすることで日本語の獲得やその後の親子関係にもかかわってくることがわかり配慮してきたいと思う」「母語を大切にするという意味が改めて分かった」「保護者とのかかわり方の大切さを改めて学べた」という語意見をいただきました。
〇 「エポケー」
他の文化に接した時、目がある以上みて、鼻がある以上においをかいで、「違う」と思うことは、おかしなことではないのですが、そのあとに「変だ」「おかしい」「カッコ悪い」「だから〇〇は」といった価値づけの判断をしない態度が重要というお話をしました。それをそのまま受け入れることができれば、自分と異なる人との交流も苦ではなくなります。
「職員の世代間でもとても大切だと感じました」「マイノリティの立場に立って考えるように心掛けたい」
私自身が、言葉で情報を伝える仕事ですから、こうやって話を聞いてくださった方のご意見を見て自分の話す内容を改めています。
授業でも、『日本語教育学入門』では、毎回最後の時間には、振り返りの時間を作って、マインドマップの手法で授業内容を振りかえってもらいます。
今後も、より良い研修ができるよう、腕を磨きたいと思います。まあ、何よりも、話すことよりも話す内容のレベルアップだな。勉強しなくちゃ。