科研の報告書やら、公開講座の企画書やら、外国人児童生徒支援の報告書やら、晋州教育大学との交流活動に関する報告書やら、書き始めたら気分が悪くなってきましたが、年内には何とかしたいものが山積み。
今日は、火曜日から行く韓国での発表準備をしました。
資料の撮影とデータの取り込みは済ませてあるので、原稿つくりをしました。
勘なんて言うと学者の言うことではないようですが、今回の発表は新展開のものですが、これから先、伸びていくように思います。
科研を6年いただいたラジオ講座は、資料や証言がなかなか集まらず、ちょっと頭打ち。
それでもテキストを発見できたり、当時働いていた方にインタビューで着たりと成果もありました。
ラジオのほうは、日本の植民地や占領地全体を俯瞰する中で、位置づけていこうと思い、新しい科研ではそう申請しています。ラジオは国境を越えますからね。
そんなこんなで、韓国では日本語教育史でお話ししてきます。
1910年9月の話です。
今日は、火曜日から行く韓国での発表準備をしました。
資料の撮影とデータの取り込みは済ませてあるので、原稿つくりをしました。
勘なんて言うと学者の言うことではないようですが、今回の発表は新展開のものですが、これから先、伸びていくように思います。
科研を6年いただいたラジオ講座は、資料や証言がなかなか集まらず、ちょっと頭打ち。
それでもテキストを発見できたり、当時働いていた方にインタビューで着たりと成果もありました。
ラジオのほうは、日本の植民地や占領地全体を俯瞰する中で、位置づけていこうと思い、新しい科研ではそう申請しています。ラジオは国境を越えますからね。
そんなこんなで、韓国では日本語教育史でお話ししてきます。
1910年9月の話です。