前回の記事で14年前の震災時の写真を載せた。ひとつ気掛かりな件があり、それは公的なメディアに掲載されていた写真でも、本人達の意思の確認が取れていない状態で使用して良いのか。もしかしたら年月の経った今は、表に出して欲しくないと思っている人もいるかも知れない。それでも使わせてもらったのは、小寄道が死を目前にしてもこの写真から希望を見出だし、勇気を貰っていたからである。
🔻樹木葬をした、長明寺さんの枝 . . . 本文を読む
小寄道が亡くなり一番に思ったのは、事故や災害で大切な方を失った親族はどんなに辛い思いをしたのだろう、だった。
小寄道は病気が分かってから14ヶ月の猶予があった。旅行や美術館や植物園にも行ったし、友人達や親族にも会い、それなりに気持ちの整理が出来たのではではないかと思う。
私にとってもその間は、思い出話をしながら一緒に泣いたり、33年の同居生活を振り返り、感謝の気持ちを吐き出す事が出来たと思 . . . 本文を読む
sekko様よりコメントを頂き、せっかくなので記事として公開致します。
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新刊のお知らせお久しぶりです。秋にはコンサートに来ていただいてありがとうございました。新刊をお知らせします。https://spinou.exblog.jp/33687770/内容は、2023年に日仏会館にお二人でいらしてくださった時の講演に、音楽活動を加筆したものです。昨年秋に日仏会館のコンサートにい . . . 本文を読む
改葬の場所として何件かのお寺さんを周ったが、気になったのはランク付け。上部の値段が高く、下部が低いマンション型の納骨堂を見た時に、亡くなってまで格差がある事に違和感があった。それは仕方がない事だし、戒名も価格がありピンキリなのよね。
「千の風になって」のように亡くなった人はお墓の中に居ないと考える人。いつも身近に居てくれると感じる人。空の上から見守ってくれていると思う人。それぞれ… . . . 本文を読む
小寄道が亡くなり、一周忌が迫りつつある今、まだ遺骨は我が家にある。人が居なくなった後の手続きや片付け、残った者の身の振り方等、やるべき事は数多あるけれど迷いに迷ったのはお墓の事。我が家の墓は、家から電車で1時間半ほどの埼玉県森林公園駅からバスで7分行った高台にある。風光明媚で陽当たりが良く、見晴らしが素晴らしいその場所を気に入ったのであろう、姑が妹と一緒に購入。
でも問題はその遠さ。
義叔母・ . . . 本文を読む
小寄道が敬愛していたsekko様からコンサートの通知が届きました。
日仏会館10月20日(日)14時からです。私も小寄道と一緒に参加する予定です。
https://spinou.exblog.jp/33448972/ . . . 本文を読む
このところブログのアクセス解析(時間による訪問者数)の表示がなく…60日以上ブログの更新がない場合は、リアルタイムアクセス解析を中止する事が分かった。
このブログは残す事に決めたし、フォロワーは少人数でも、ひとりでも見てくれれば嬉しいし、実際は1日に最低でも200人の訪問者が居る。そこで、アクセス解析は小寄道の残した大切な証と思い、記事を更新していく事にしました。
拙い文章しか書 . . . 本文を読む
以前の記事に、義理のお母様のほのぼのとしていて、そして世相を反映したコメントを寄せて下さったjeanloiseの文言を掲載します。ご本人の承諾は得ています。
「ランダムにブログを閲覧している途中で発見。イントロの小寄道さんらしい説明にクスっとなりました。そして逆バージョンになるかもしれませんが、義母のハナシを思い出しました。相方の両親は、南仏マルセイユ近郊に住んでいるのですが、ある日義母から . . . 本文を読む
月 日、小寄道は永眠いたしました。享年は73歳になります。
生前より皆様のご愛読に感謝し、本ブログを書き続けられる。それこそが自分の余生を生ききる愉しみだと申しておりました。
本当にありがとうございました。なお、このブログはこのまましばらく残したいと存じます。 小寄道の妻
上記の文章は小寄道が認めたものです。2月26日という日付けを入れて私が書いたものとして投稿すべきだっ . . . 本文を読む
★新収蔵&特別公開 ジェルメーヌ・リシエ《蟻》小企画展
会期2024.1.23–4.7 会場:東京国立近代美術館2Fギャラリー4
美術館サイドの紹介記事(転載)
フランスの彫刻家ジェルメーヌ・リシエの彫刻《蟻》(1953年)を初公開します。リシエ(1902–59)は、第二次大戦後における女性彫刻家の先駆的存在の一人 . . . 本文を読む
しばらく書けない日が続いた。もうあの世に逝ったんじゃないかと、余計な心配をかけていたら申しわけない。そんなアホな、己惚れている場合じゃないなぞと、お叱りをうけそうな気もする。早い話が気力は減衰し、いろんな箇所のポテンシャルが下がってしまったこと。それが主たる理由。愚痴や弱音を吐くのは、潔よしとしない高潔の士、いやいや多分に高慢ちきな性格が滲みだしている。この書きようにして馬脚をあらわしている。妄言 . . . 本文を読む
明けましておめでとうございます。
新年を飾る年賀のイメージは、ありきたりの梅の花を借りた。昨年から地元の景色を背景にすることをあきらめ、干支の雰囲気だけで正月らしさを演出したのであるが・・。
2024年、令和6年の干支は、空想上の動物である「竜」なので、ついに弾が尽きた。梅に似合う「竜」はなかなか見つけられなかった。
清少納言は書き残した。「ただ過ぎにすぎるものは、人の齢(よわい)、春夏秋冬 . . . 本文を読む
年末の報道写真展を観に日本橋三越へ行った。わが家の恒例行事といったところ。昨年は、正月を家で迎えるための一時的な退院の時だった。去年のブログを読み返すと、食事や病気のことなぞ、ぐだぐだと・・。最後に申し訳程度に、報道写真展に行ったことを書いている。実際は内容がどうだったのか、具体的にふれていないのは何ぞやである。
外出すると決めたからには、新鮮な外気を吸い、人々の活力ある動きに元気をいただこう。 . . . 本文を読む
噂では聞いていたが、IMAX(アイマックス)というシステムを完備した映画館でみる『ゴジラー1.0』は、やはり想像を超えるド迫力だった。この齢でIMAXを経験しないのは悔いが残る。そんな✖✖な、笑わせるなという人はいるだろうが、正直にいえば、死ぬまでには一度観て体感したかったことは確かだ。当然のごとく、小津安二郎をIMAXで見るのはお門違いだ。今回の『ゴジラー1.0』はまさにIM . . . 本文を読む
三匹の死んだ猫(部分) 長田弘
二十年かかって、三匹の猫は、九つのいのちを十分に使い果たして、死んだ。生けるものがこの世に遺せる最後のものは、いまわの際まで生き切るというそのプライドなのではないか。雨を聴きながら、夜、プライドを失わずに、死んでゆくことの難しさについて考えている。
上記の詩は、長田弘の『死者の贈り物』という詩集にある「三匹の死んだ猫」の最後の部分である。全体は27行である . . . 本文を読む