マドリッドのアトーチャ・レンフェ駅、そこにあるロペスの彫刻。「Day and Night」と題された作品、通称「子どもたちの頭」に触れ、撫でてみたい。
2004年、列車爆破テロ事件による多数の犠牲者を鎮魂するために、それはある。
70歳のときの感情と、40歳のときの感情とは異なる。絵、そして作品はその人の顔のようなものだ。すべてがそこに現れる。すべてがそこに . . . 本文を読む
カリブ海に、沖縄本島の半分ほどの広さしかない小さな島、仏領マルチニーク島(以下、仏領は省略)がある。1887年、この島に英仏2人の独創的な男がいた。
ゴーギャンはいかにして画家になったのか。そんなことを調べているうちに、面白い事実に気づいた。
ご存じの方もいるだろうが、画家のポール・ゴーギャン(1848~1903)と小泉八雲つまりラフカディオ・ハ . . . 本文を読む
大衆というものは、その本質上、自分自身の存在を指導することもできなければ、また指導すべきでもなく、ましてや社会を支配統治するなど及びもつかないことである。この大衆が完全な社会的権力の座に登ったという事実は、・・民族や文化が遭遇しうる最大の危機に直面していることを意味している。こうした危機は、歴史上すでに幾度か襲来しており、その様相も、それがもたらす結果も、またその名称も周知のところ . . . 本文を読む
わたしのアートシーン ② 馬場良平と鉄
昭和20年代に生まれたものにとって、鉄は、浅からぬ因縁をもつ身近な金属ではないだろうか。鉄そのものが小遣い銭に成った時代である。物心ついた時、4,5歳の頃か。馬蹄型をした大きな磁石をひもで吊るし、それを腰にくくりつけて往来に落ちているくず鉄を拾い歩いた。徒党を組んでやるから楽しい。子供ながらにも、それなりの目標を自分たちでつくって達成する歓び。仲間の誰もが . . . 本文を読む
故西野洋の実家がある常陸太田市へ、墓参に行ってきた。一周忌では私的に彼を偲んだが、やはり墓前で線香を上げて供養したい。私たちはそう決心し、次兄の孝二氏に案内をお願いしたところ、快く引き受けていただいた。当初は独力で墓参する心つもりでも、寺は駅から遠方にあるらしく途筋は複雑。初めて訪れる地ゆえ、迷惑と承知しつつ案内して頂くことになったのだ。
当日は、駅までご夫妻で迎えに来ていただき . . . 本文を読む
行く予定はなかったのに、久々に晴れわたる空が気持ちよく、浮き浮きとして神保町へ。買わないぞ、覗くだけだぞ、と言いきかせ念じつつ向かった。通り沿いのワゴンだけを、背表紙だけをさらっと目で追った。なんとも知らない本が多いのだが手は伸びない。そそる本が少ない。いや、直に触れて読みたくなったら、を想像すると自重するしかない懐具合もある。
ゴッホの手紙は6分冊もあるのか・・。ジッドとヴ . . . 本文を読む