現在ほど情報が氾濫している時代はない。情報は高きところから低きところへ流れる。あるいは権威づけられたところから無秩序な領域へと拡散する。科学的な分析データや統計、専門家による知見、卓見など有益な情報のほとんどは、多くのどうでもいい間違った情報に紛れてしまう。あるいは改変されて届けられている、と思う。
普遍的な知の情報は、叢のなかの針をさがすようなものだ(学問の砦のなかにいる方は別ですが・・)。
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新型コロナの第5波が猛威を振るいはじめている。デルタ株変異種の感染者数の記録が日ごとに更新される。感染者数の増加にともない、中等症・重症の患者も増えて、予測を上回る医療逼迫が叫ばれる。その深刻さは、昨日の驚くべきニュースで実感した。
千葉県柏市において自宅療養中の妊娠8か月の女性がいた。容体が急に悪化しても、入院先が見つからず、自宅で出産。赤ちゃんはその場で亡くなった。痛ましい、悲惨な事件である . . . 本文を読む
ブログを書けない状態が続いた。まったく書かないのは精神衛生上よろしくないので、なんとか書こうと思う。今日は「終戦の日」でもあり、この日や広島・長崎の原爆投下の日については、これまで何かしら書いてきたし、書き足らないことを少し残しておくことにしたい。2年ほど前に「終戦の日」について書いたことがあって、遡って読み返してみたら、なんと「開戦の日」になっていた。血流が逆流するような恥ずかしさと、呆けがとう . . . 本文を読む