小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

お墓について②

2025年02月20日 | エッセイ・コラム

改葬の場所として何件かのお寺さんを周ったが、気になったのはランク付け。
上部の値段が高く、下部が低いマンション型の納骨堂を見た時に、亡くなってまで格差がある事に違和感があった。でも戒名も価格がありピンキリなのよね。

「千の風になって」のように亡くなった人はお墓の中に居ないと考える人。いつも身近に居てくれると感じる人。
空の上から見守ってくれていると思う人。それぞれ…
友人と小寄道の話をしている時など「聞いてる?」と、周りを見渡してしまう事がある。ということは、私は身近に居ると感じている訳だ。
でも年がら年中近くに居て、例えばトイレにも一緒に来ていると思えば、落ち着かない。
やはり、あらゆる場所に行き、星々の間を漂ったり、深海で珍しい魚やクラゲと遊んだり、ビーチで優雅に本を読んだりしているのかもしれない。そして、話し掛けるとそこに居てくれるような存在。
お墓はイコンとしての場所、そのように考えた。

🔻樹木葬をする長明寺の蝋梅

🔺ご近所のお寺さんの壁飾り


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