日本橋の三越で毎年開催されている報道写真展に行ってきた(25日・日曜日)。3年ほど続けて見ていて、どうやら我が家の恒例となりそうだ。
この時季、テレビでは一年をたらたらと時間をかけて振り返る番組の目白押し。だがここでは、今年の出来事が印象的なスティル写真によって鮮やかによみがえる。災害や事件、政治・社会からスポーツや芸能まで、いずれも選りすぐりの決定的な写真によって、そのときの記 . . . 本文を読む
米軍基地の辺野古への移設にともなう「埋め立て承認の問題」について、考えにも及ばない驚くべき事実がわかった。私が知らないということは、日本人の多くの人たちも知らないということであろうし、事の次第、その是非もたぶん認識されていないだろう。
結論からいえば、司法の最高機関とされる最高裁は、今月20日に翁長沖縄県知事に対して敗訴の決定を下した。しかし、さかのぼること一週間前の12日に、最 . . . 本文を読む
スペイン・ポルトガルの旅ー⑤
スペインとポルトガルに旅行したとき、路地をよく撮ったことはブログにも書いた。当然、住まいの門がまえ、あるいは店先の佇まいや看板などに目がゆく。ドアノブ、ドアノッカーの写真は前にも紹介したが、沢山あって載せきれない。
路地を歩いてその他にも美しいと感じるものに街灯がある。ヨーロッパでは同じような形態の街灯が多いことが知られている。昔ながらの電球を使っ . . . 本文を読む
これはあくまでも戦争を描いたアニメ映画だ。それ以外の何ものでもない。戦争を何かのメタファーとして、例えば大災害・災厄として読み替えてはならない。
これまでの戦争映画は、ドキュメンタリーであれアニメか実写であれ、軍隊の戦闘や殺戮のある場面を中心にして映画はつくられてきた(※)。これをA面だとすれば、「この世界の片隅に」はB面である。A面が男主体の戦争だとすれば、「この世界の片隅に」はいわゆる . . . 本文を読む
詩人長田弘が他界して一年半。彼が亡くなる四日ほど前に全詩作をまとめた本が、そして、やや遅れてタイトルそのもの「最後の詩集」が出版された。また、書評集「本に語らせよ」も去年の8月15日に幻戯書房から出版。これで最後かと思われたが、先月に未収録のエッセイ集「幼年の色、人生の色」が出版された。いずれもみすず書房からである。
このエッセイ集はゆっくり読んでいこうと思っている。「21世紀の『草の葉』 . . . 本文を読む
スペイン・ポルトガルの旅ー④
旅の中盤で食あたりのような症状になり、まる一日なにも食べられなくなった。その際、同行の方々にご心配をおかけし、そのうえ何人かの方に薬や日本茶などをいただいた。嬉しかったのは梅干しとレトルトの御粥。食欲がまったくないのに、梅干しを口にした途端、胃がいっぺんに目を覚ました。しばらくして、御粥を食したいという気になった。その後、完全復帰とはいえないが、一日 . . . 本文を読む
スペイン・ポルトガルの旅ー③
そこに花ばながおかれている。ただそれだけなのに、花ばなのおかれた路地をとおりぬけると、ふっと日々のこころばえを新しくされたようにかんじる・・・・
花ばなをそこにおき、路地をぬけてゆく人びとへの挨拶を、暮らしのなかにおく。
長田弘 (深呼吸の必要 「路地」)
スペインの路地には 洒落ではなくロジックがある
まっすぐな道筋 . . . 本文を読む
安倍政権による強行採決に歯止めが効かなくなった。秘密保護法、武器輸出関連法、TPPなど、そして直近のカジノ法案の強行採決。昔ならデモの一騒動ぐらいあったものだが、もはやスマートに思えるほどの強行ぶりにものが言えない。マスコミにしても多少気色ばむ程度の報道で情けない。国民の60%もの信認を得ている安倍政権のこと、文句は言わせないという腹づもりか。以前なら、地下組織のカジノ賭博が発覚し . . . 本文を読む
スペイン・ポルトガルの旅ー②
親愛なる手でもう一度ドアをおさえる、そして決然とそれを押し戻し、身を部屋の中に閉じ込める。
--強靭な、しかし、よく油のきいたばねの、快い、確実な音。
(フランシス・ポンジュ 「ドアの楽しみ」 )
自分が棲む町には露地がたくさんある。スペイン、ポ . . . 本文を読む
故西野洋のオマージュというべき「西野洋 思考と形象」を手にする。清々しい透徹さ、瑞々しい気品さを感じさせる表紙デザイン。そして、手にしたときの質感が素晴らしい。10人になる制作委員の方々には、まず感謝と称讃をおくりたい。
西野さんによる生前の仕事を見事にまとめ、至高のエッセンスともいうべき純度と強度をもった著作にしていただいた。まさにN氏の魂がのりうつったかのような端正な本である . . . 本文を読む
スペイン・ポルトガルの旅ー①
旅にはいろいろな形がある。人によっても違うだろうし、定義すること自体が馬鹿らしい。私にとっての旅も、これだというものはない。自分なりに望ましいと思うのは、ある期間滞在して、その土地の人、食べ物、文化や歴史といったものにふれることだ。
我が伴侶はそのことを首肯するものの、費用対効果、安全性、さらに我々の性格、体力、年齢などをゆるぎなく . . . 本文を読む