小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

竹下節子様からコンサートのお知らせです

2024年09月24日 | エッセイ・コラム
小寄道が敬愛していたsekko様からコンサートの通知が届きました。 日仏会館10月20日(日)14時からです。私も小寄道と一緒に参加する予定です。 https://spinou.exblog.jp/33448972/ . . . 本文を読む

これからのこと

2024年08月06日 | エッセイ・コラム
このところブログのアクセス解析(時間による訪問者数)の表示がなく…60日以上ブログの更新がない場合は、リアルタイムアクセス解析を中止する事が分かった。 このブログは残す事に決めたし、フォロワーは少人数でも、ひとりでも見てくれれば嬉しいし、実際は1日に最低でも200人の訪問者が居る。そこで、アクセス解析は小寄道の残した大切な証と思い、記事を更新していく事にしました。 拙い文章しか書 . . . 本文を読む

ありがたきコメントより

2024年05月31日 | エッセイ・コラム
以前の記事に、義理のお母様のほのぼのとしていて、そして世相を反映したコメントを寄せて下さったjeanloiseの文言を掲載します。ご本人の承諾は得ています。 「ランダムにブログを閲覧している途中で発見。イントロの小寄道さんらしい説明にクスっとなりました。そして逆バージョンになるかもしれませんが、義母のハナシを思い出しました。相方の両親は、南仏マルセイユ近郊に住んでいるのですが、ある日義母から . . . 本文を読む

愛猫の死、経惟と弘

2023年12月11日 | エッセイ・コラム
三匹の死んだ猫(部分)    長田弘 二十年かかって、三匹の猫は、九つのいのちを十分に使い果たして、死んだ。生けるものがこの世に遺せる最後のものは、いまわの際まで生き切るというそのプライドなのではないか。雨を聴きながら、夜、プライドを失わずに、死んでゆくことの難しさについて考えている。 上記の詩は、長田弘の『死者の贈り物』という詩集にある「三匹の死んだ猫」の最後の部分である。全体は27行である . . . 本文を読む

希望のない国、イスラエル

2023年11月04日 | エッセイ・コラム
がんを患って、自分の生死の目途がついたとき、ブログには政治、社会的なテーマは避けようと決めた。なぜなら、昨今、書くことの根拠、エビデンスのことごとくが希薄で、信用のならないものに思えてきた。情報ソースはすべからくメディア経由であり、ITのSNSなどだが、それらはもはや信のおけない媒体であると、自分のなかではほぼ断定している。 そうなのだ、自分にはそれらを客観的に取捨選択する確信、判断基準を持ち得 . . . 本文を読む

連鎖する偶然、惹かれあう出会い

2023年10月03日 | エッセイ・コラム
スマホのOSはグーグルなので、撮った写真が「フォト」というアプリでクラウド上にストックされる。15GBまでは無料で、まだ10GBも空きがある。だから焦る必要はないのだけれど、古い写真を整理しようと思い立った。過去のストックをさかのぼって整理していたら熊谷守一絵画展(近代美術館※➡注)の写真群があった。そのなかになんと柳原義達の彫刻があった。過日、このブログにも載せた『孤独なる彫刻』という著書のトビ . . . 本文を読む

末盛千枝子さんのこと再び

2023年09月24日 | エッセイ・コラム
病院を退院した翌々日だったか、千葉県市原の「湖畔美術館」に行った。➡『末盛千枝子と舟越家の人々』 その末盛千枝子さんが、先週月曜日・朝刊の半面記事「あの人に迫る」で近況が特集されていた。10年間続けた「3.11絵本プロジェクトいわて」はいちおう区切りをつけたものの、すべての人に絵本を読んで欲しいという思いは、いまだに尽きることのないご様子だった。 御年82歳ながらお元気そうでうらやましい。大震 . . . 本文を読む

夢二式美人に「可愛い」の源泉をみる

2023年09月20日 | エッセイ・コラム
以下の文章はいわば能書きにあたるので、タイトルにある「夢二式美人に『可愛い』の源泉をみる」の結論をはやく読まれたい方はどうぞジャンプされたし 「侘び、寂び」と同じように、世界にむけて現代の日本人の精神性あるいは心性を表わす言葉とは何か?  議論はあろうが、いちばんの候補といえるのは「可愛い」だ、と思ったのはいつの頃だったか。竹内整一が考察した「やさしさ」に関する一連の著作を読んだときか。それと . . . 本文を読む

竹久夢二が求めた美とは何か

2023年09月16日 | エッセイ・コラム
前回記事の続き 竹下夢二(1884~1934年)は、画家としてだけではない、様々な才能に秀でたマルチタレントだった。ウィキをちょいと引用する。 ・・数多くの美人画を残しており、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれた。大正ロマンを代表する画家で、「大正の浮世絵師」などと呼ばれたこともある。文筆の分野でも、詩、歌謡、童話など創作しており、中でも、詩『宵待草』には曲が付けられて大衆歌として受け、 . . . 本文を読む

迷惑かけてもいいんだ

2023年09月09日 | エッセイ・コラム
  抗がん剤の影響かとおもうが、手と足の筋力がみるみる失くなった。何かに掴まっていないと安定した姿勢が保てない。杖を使えば、辛(かろ)うじて歩ける。だから入院中には、X線検査やコンビニの買い物に行くときなど、介助してもらって車椅子を利用するように提案された。実際に利用して実感したのは、その便利さ、快適さはもちろん、介助していただく方への感謝である。そして、他人の憐み、同情の視線なぞはあ . . . 本文を読む

三味線の音

2023年09月03日 | エッセイ・コラム
ふたたび永井荷風の話から。いまは亡きアヴァンギャルド詩人・俳人加藤 郁乎の『俳人荷風』を読んでいて、江戸文化の素養を磨いた青年荷風について、こんな件があった。 長唄や琴を能くした母親ゆずりとはいえ堅気の家庭に育った荷風が三味線の独稽古をはじめたのは遅く、中学校を卒業した明治三十年十九歳のころ、中学二、三年のころ琴古流の二代荒木古童門下の可童に弟子入りして尺八を学んだ。尺八の技術を完成するためには . . . 本文を読む

夏の明るい寂寞かな

2023年08月15日 | エッセイ・コラム
枇杷の実は熟して百合の花は既に散り、昼も蚊の鳴く植込みの蔭には、七度も色を変えるという盛りの長い紫陽花の花さえ早や萎れてしまった。梅雨が過ぎて盆芝居の興行も千秋楽に近づくと誰も彼も避暑に行く。郷里へ帰る。そして、炎暑の明るい寂寞が都会を占領する。 永井荷風の随筆集(岩波文庫)にある『夏の町』の冒頭の書き出しである。荷風がほぼ5年間の洋行(アメリカ、フランス)から帰って2年後に書いた随筆だ(発表は . . . 本文を読む

緑は希望の色だ

2023年07月27日 | エッセイ・コラム
夏のそら 流れる雲 ああひとり好きないろ みどり ああひとり 若いころに緑色が好きになった。ダークグリーンのジャケットを買ったら、女性のアートディレクターが新宿二丁目の人たちの好みだわ、と言ったことを思いだした。後でその理由を知ったが、好きなものにさしたる理由や根拠はない。 緑は植物の葉緑素が根源であり、すべての生命の源でもある。だからというわけではない。緑はわたしにとって、希望のいろだ。春夏 . . . 本文を読む

八重山諸島の生きものにふれる

2023年07月01日 | エッセイ・コラム
全く偶然に入った植物園だった(そこが西表島ではなく、あたかも「御出来」のように西表島に喰っついている由布島だったのは後で知る)。他のツアー客もいなかったし、同行する人たちの数は3,4人で、彼らはその濃密な亜熱帯空間を振りはらうように、どんどん先に進んで行ってしまった。 多摩動物公園の昆虫館や千葉の南房パラダイスの、閉鎖された空間を飛んでいる大ぶりの蝶は印象的だった。オオゴマダラ(大胡麻斑)が群れ . . . 本文を読む

八重山諸島の花にふれる

2023年05月30日 | エッセイ・コラム
川は流れて どこどこ行くの人も流れて どこどこ行くのそんな流れが つくころには 花として 花として 咲かせてあげたい泣きなさい 笑いなさいいつの日か いつの日か花を咲かそうよ泣きなさい 笑いなさいいつの日か いつの日か花を咲かそうよ   喜納昌吉の代表的な楽曲「花」は、 副題として「すべての人の心に花を」というフレーズがついている。これは1964年東京五輪の実況アナウンサーが発した . . . 本文を読む