ある事が原因で、私は精神的苦痛を抱えることになった。その原因を、いま詳細にここに書くことはできない。原因はごく限られた私的な事柄に属するのだが、当事者が国家権力と結託しているために、事実関係を特定した書き方は許されないからだ。
ふつう精神的な苦痛は、人によって感じ方や程度は様々であろうし、その解消の仕方も百人百様である。誰かに相談して、話を聞いてもらい済ませられることもある。悲しいかな、私にはそ . . . 本文を読む
新元号「令和」を提案された国文学者として時の人になった中西進先生が、なんとTBSの『情熱大陸』に出演された。新進気鋭の注目すべき人材はもちろん、陽の目を見ない分野でも、世界第一線で仕事する人間にフォーカスして、長期間にわたって密着するヒューマン・ドキュメンタリー。深夜帯にもかかわらず、知る人ぞ知る長寿番組である。
(テレビを観ない、それが知識人としての前提条件らしい。TV視聴は時間の無駄ではある . . . 本文を読む
8月の6日、9日、そして15日。人それぞれに過し方はあるだろうが、なんとなく居住まいを正したくなる。日本人なら誰しもが、という時代ではないが、そういう気持ちをもつ方は、どんな行動をとるのだろうか、もちろん人それぞれだけど・・。
わたしはこれまで黙祷し祈るのみで、そのために何処かに出かけたり、特別なことはしてこなかった。ただ思うのは。70余年も戦争がなかったことは僥倖であること、それはあの鬼胎の時 . . . 本文を読む
先日NHKでアニメ映画『この世界の片隅に』が、地上波で初放送された。N国党が評判になるなか、危機感を感じて失地回復を期したのか。まさかそのために、幅広い世代から人気を集めたアニメの放映権を、NHKはどこよりも高く買いつけたのかどうか知らん。
放送日の翌日から2,3日後にかけて、当ブログには驚くほどの訪問者数があり、書いた記事の内容、その読解について、改めて責任を感じてしまった。映画を観たのは今回 . . . 本文を読む
ジョルジュ・バタイユの『ヒロシマの人々の物語』を読む。バタイユが戦後まもなく、自ら創刊した月刊誌『クリティック』の1947年1・2月合併号に発表された論文を小冊子にしたもの。翻訳は、バタイユではおなじみの酒井健。
アメリカのジャーナリスト&小説家、ジョン・ハーシーのルポルタージュ『ヒロシマ』に触発されて、急遽バタイユが書いたとされる。本文は、B6版変型で35Pしかないが、文明と戦争、欲望 . . . 本文を読む
「声は楽器のごとく」という記事を書いた延長で、『共感覚という世界観』(原田武著・新曜社)という本を図書館で借りて読んだ。アルファベットや数字が、色彩や音色として感覚される不思議な「共感覚」という知覚現象を、心理学や脳科学、時にマクルーハンのメディア論などの研究書を参照し、著者がフランス文学者のためか、古今の文学書を繙いて共感覚的な表現を論じたきわめて刺激的な書であった。
A.ランボーの「母音」と . . . 本文を読む