小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

寛斎さんを偲び、おもうこと

2020年07月29日 | 日記
日にちをおいて書く。山本寛斎氏が亡くなられた。同日だったか、歌手弘田三枝子さんも天に召された。6歳上、2歳上で、小生より年上ではあるが同時代に生きる先輩・・。憧れ、畏敬、思慕・・複雑な感情が絡む。ただし、寛斎の服は着たこともないし、着ようと思ったことはない。派手な色づかい、斬新なフォルムは、まずふつうの日本人には着こなせない。 デイヴィッド・ボウイが寛斎を抜擢し、ステージ衣装を任せたのは知ってい . . . 本文を読む

ある医師の個人的な見解について

2020年07月25日 | エッセイ・コラム
前回の記事に続く内容だが、もう新型コロナの話は勘弁してくれという方には、まことに申し訳ない。お見逃しあれ。 ともあれ、現在、Covid19 (※1)は次なるフェーズにうつり、東京がエピセンター(感染震源地)となる事態が予測されている。その警鐘を鳴らすのが、放射線治療など先端医療に携わってきた児玉龍彦氏、ESP細胞のノーベル賞学者の山中伸弥氏らだ。一昨日、東京の感染者数は過去最高の366人を記録し . . . 本文を読む

東京は第2次コロナ禍の震源地か?

2020年07月21日 | エッセイ・コラム
ネットのニュース番組「ビデオニュース」の会員になって約20年(注)。その1000回目の記念番組は「ようやく見えてきたコロナの正体」というタイトルだった。ゲストは児玉龍彦氏(東京大学先端科学技術研究センター顧問)、かつて3・11フクシマのとき、国会の参考人として放射性物質や内部被曝の問題を全力で訴えていた。魂を込めた先生の陳述は、当時京大の助教だった小出裕章氏と同じように真摯で熱く、何よりも科学的裏 . . . 本文を読む

猫の鼾

2020年07月17日 | 日記
ひとり世帯になって寝起きし、炊事、洗濯あれこれと、自分で笑うくらいに小まめな男になった。新聞に入っていたチラシなんか見たりする。それを見てさあ買い物だ、とは流石にならない。いや、いつか行くことになるのか・・。 雨が降り止まず、雨音が否応なしに耳につく。で、昨夜ビデオでみた猫を思いえがく。あんな、人間っぽい猫がそばにいたらどうなるのか。寂しさなぞという感情は、まず紛れるんだろう、とおもう。でも、分 . . . 本文を読む

自分に気づく自分。意味はあるのか

2020年07月13日 | 日記
自分にとって意味のあるすべてが大切だ。意味する作用を自分なりに解体すると、ある種の普遍性を感じてしまう。特に、時間軸における過去に目を向けるがいい。自己の来歴・ミームと、現在に拠って立つ自分成りを確認できる。その一瞬、回路が逆流したがごとく過去を忘却し、アクチュアル(現在性)に目覚める。精神の覚醒が始まるのだ。 自分にとって意味するもの。それが何か明確に理解かつ目に見えるカタチにして再現する。そ . . . 本文を読む

岡井隆を悼む

2020年07月12日 | エッセイ・コラム
7月10日、歌人の岡井隆が逝去した。92歳、長命であったのは自身が医者であり、養生に長けていたからだろうか。戦後短歌界にあってつねに前衛にゐ、西に塚本邦雄あれば、東に岡井隆ありと、この二人の巨星はともに、短歌の韻文としての表現を極限にまで高め、琢磨した。小生の若い頃、塚本邦雄の表現には憧れと畏れを抱いた。一方、岡井のそれは、思想性のある前衛短歌だと認めるも、一冊の歌集も読んではいない。今、唯一もっ . . . 本文を読む

星合いあるいは星祭の日に

2020年07月08日 | エッセイ・コラム
今日は七夕である。goo blogより一年前に書いた記事のお知らせがメールで来る。去年書いたものを気づかせ、「今年もなんか書けば」というモチベーションを送ってくるわけだ。ふむ。 近頃、作句をさぼっているので、「七夕」にちなむ句を詠んでみるかと思い立つ。が、俳句の季語としては「秋」であることがわかった。機先を制せられる気分で、梅雨というよりも大雨の災厄、九州の洪水被害が深刻きわまる今日という日。案 . . . 本文を読む

雨がすること

2020年07月04日 | エッセイ・コラム
雨がすること、と書いてこの時期の、何処かの洪水を心配したのではない。(追記) 日本人は「梅雨」という季節に馴れ親しむ心性がある。人それぞれに感慨を思いおこさせる「多雨」の時季だ。日本人なら単純に、雨降りを待望む農民と、退屈さを愉しむ町民の風情は、自明的に理解できる。 そう、紫陽花や緑の美しさを愛でる季節でもある。一方、お天道様を拝めない、つまり洗濯物を干せない、そんな鬱屈した生活感情があって、 . . . 本文を読む