先月 石牟礼道子のことをこのブログで記事にしたら(これです)、早速、友人から「石牟礼道子のことを書くのだったら、『苦意浄土』を書かんわけにいかんだろう」と 忠告を受けた。
まあ たしかにそうだね。 例えてみれば、『資本論』を語らずして、マルクスを語るみたいなもんだからね。
正直に言うと、苦海浄土を読んだのは、ついこの春のことです。もちろん、その存在は20年以上前から知ってましたが、なぜか「タブー」の書のような印象でした。それは全く僕の偏見というか、思い込みだったけですが・・・。
この本は、今では多くの人が指摘するように、ルポルタージュでもなく、聞き書き記録でもなく、石牟礼氏の創作した「小説」なのですが、どんな「闘争記録」、どんな「実録記録」よりも、リアルです。
それは、石牟礼氏も言うように、患者の言葉をそのまま書き取ったものではなく、「この人の心の本心を 文字にしたら、こうなる」ということを文字にして作品にしたものです。そこまで、その人に寄り添い、迫れる実態があったからこそ、生まれた作品ですね。
この本では、激しくチッソを糾弾するでもなし、国や行政の無策というか、「無策という名の作為」を罵倒するわけでもなく、ただひたすらに患者・家族に寄り添い、親子・家族の情愛を濃密な筆致で描いています。
「うん うん そうだ、人間って そうだね」と何度 読みながらうなずいたことか。
しかし、だからこそ、どんな「闘争記録」よりも、峻烈な「告発の書」になっているわけです。
それこそ、「20世紀の世界遺産」に登録してほしい本です。