平家屋敷阿佐家の大正14年頃の
絶世の美女である冨美子姫についての
エピソードは松山高等学校山岳部の先生
北川淳一郎著「四国山岳夜話」に
阿佐家の冨美子姫を見なかった話として
記されているが、自分の拙作のHPである
「剣、祖谷の山嶺」2の奥祖谷風景に
抜粋して紹介している。
松山出身の自分としては冨美子姫のその後が
知りたくて阿佐家を訪ねたが先代の奥様に
話をお聞きする事が出来た。
お話では、奥様が結婚された当時冨美子姫は
お身体が丈夫でなくて療養のため奥様方の
二階に住まわれ、一緒に生活されていた。
また祖谷に移られてからも阿佐家でご一緒
されて、当時同い年位の姫が三人居られて
華やかであったと。
冨美子様、頼子様、春子様、何れもお美しい
姫さまであったと言われていた。
冨美子姫はその後ご結婚されて男の子二人を
授かった。 が元々お身体が弱かったためか
若くして亡くなられたそうである。
命日の11月7日に阿佐家を訪ねて先代の奥様から
気にかかっていた冨美子姫のその後をお聞き出来たのも
なにかのお引き合わせではないかと思われる。
絶世の美女である冨美子姫についての
エピソードは松山高等学校山岳部の先生
北川淳一郎著「四国山岳夜話」に
阿佐家の冨美子姫を見なかった話として
記されているが、自分の拙作のHPである
「剣、祖谷の山嶺」2の奥祖谷風景に
抜粋して紹介している。
松山出身の自分としては冨美子姫のその後が
知りたくて阿佐家を訪ねたが先代の奥様に
話をお聞きする事が出来た。
お話では、奥様が結婚された当時冨美子姫は
お身体が丈夫でなくて療養のため奥様方の
二階に住まわれ、一緒に生活されていた。
また祖谷に移られてからも阿佐家でご一緒
されて、当時同い年位の姫が三人居られて
華やかであったと。
冨美子様、頼子様、春子様、何れもお美しい
姫さまであったと言われていた。
冨美子姫はその後ご結婚されて男の子二人を
授かった。 が元々お身体が弱かったためか
若くして亡くなられたそうである。
命日の11月7日に阿佐家を訪ねて先代の奥様から
気にかかっていた冨美子姫のその後をお聞き出来たのも
なにかのお引き合わせではないかと思われる。