秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

春彼岸に寄せて男と女  (SA-NE)

2010年03月19日 | Weblog
生誕百周年の作家、太宰治。
私が彼の世界に、出会ったのは、中学生の頃だった。
昭和23年、玉川上水にて、心中という形で亡くなった彼の放った人間の底辺に存在する
心の闇は、時代を越えてもなお、現代の若者達から、絶大なる支持を、受けている。
昭和49年、私の祖父も、入水自殺をした。79歳だった。
当時では、まれにない出来事で、小さな集落を随分と賑やかせた。

私が七歳の時、祖母が亡くなり、一、二年した頃から
祖父の隠居部屋を時折訪れる、おばあさんがいた。
幼心に、覚えていた事は、そのおばあさんが、亡くなった、祖母の面影に似ていた事。
そして、誰に止められたのか…。
そのおばあさんが、祖父の部屋を訪ねている間は、私は、隠居部屋に近づいていない…。
祖父は、73歳だった。今にして、思えば、それ程、高齢ではなかった。

おばあさんは、近所に住んでいた、夫に先立たれた、未亡人。
私が〈お茶飲み友達〉という言葉を、知ったのも、その頃だった
多分、叔母さんから聞いたような、記憶がある。
祖父が、他界した後に、叔母さんから時折、聞いた話がある。

「じいやん、〇〇のばあさんに、言よったんじゃと!」
「なんて?」
「一緒に、下の坊主淵に行って、死なんかって。ばあさん、断ったんじゃと。
水は冷たいけん、そんなとこへは、行きとうないわって。」

祖父が、亡くなる前から、そのおばあさんは、病気になり、町の病院に
しばらく入院していた。
祖父は、
夢の中でおばあさんが、退院した夢を見ては、背負い袋に、果物やら
食料品をいっぱい詰めこんで、
誰もいない彼女の家に行こうとしては、叔母さんに、引き止められていた。

祖父は、彼女が入院していなければ、
あのような、最後は迎えていなかったと、今でも思う。
不思議な、実話がある。
祖父が行方不明になった夜から、入院していた彼女が、付き添いの家族に
毎晩、言っていた事がある。
正確に言えば、祖父はすでに淵の底に沈み、亡くなっていたのだ。
「〇〇〇のじいさん、部屋の前の廊下に、立っとる。来とるわ」
家族は、半信半疑で、聞いていた。
家族には、当然、祖父の姿は、見えてはいなかった。
同じ事を、彼女は三日間、家族に伝えた。
その、三日後、祖父の遺体は、引き上げられた。

祖父の彼女への想いを、私は今は、理解出来ないでいる。
私が、祖父の年齢に、到達していないからだ。
男と女。
愛するという感情を、いつまで、持ち続けるのだろう。

よく、一般的には、老人達の愛を、非常識と呼んだり、いい歳をして
恥知らずとか、みっともない?とか、やたらと否定ばかりをくちにするが
私は正直、そうは思わない。

老人だから、
杖をついているから、恋愛をしてはいけない、道義なんて、どこにあるんだろう。
社会の個々の、価値観で、否定しているだけではないか。

人間が、笑ったり、泣いたり、感情を持ち続けられる間は、
いくらでも、恋愛してもいいのではないだろうか…。
少なくとも、祖父の妻を亡くした、心の淋しさを、埋めてくれていたのは、彼女なのだ。
彼女との、ささやかな時間が、祖父の一日を満たしてくれていたのだ。
お酒を絶つ事が出来なかったのは、仕方がなかった。
酒が、好きだっただけの事。

彼岸に想う。
いつの世も、
男と女。
男は女の為に、男を生き、女は男の為に、女を生き…。
花に光が必要なように…、
大地に雨が必要なように、
男と女、二つの生き物が、求め続ける限り、未来へとそれぞれの〈愛〉が
永遠に悠々と、繋がっていく。

自分自身の人生に、
キッパリと自ら、終止符を打った祖父を、
私は誇りに想う。
それは、祖父の決意だったのだ。

ふと、感じる。
天国で祖父は、妻と彼女と?
どちらと、寄り添っているんだろう…
もしかして、
どちらからも、ソッポを向かれているかも知れない?

そんな祖父には、
やっぱりお酒を、供えよう。
酒は、裏切らない?か。なあ~、じいやん。
彼岸の合掌






コメント
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