秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ(テッセンと従姉妹と私と時々ヴヴヴ)

2021年02月04日 | Weblog
高知の従姉妹は今、引っ越しの荷物で山積みになった部屋で
このブログを読んでいるだろうか。
久万川の土手沿いに、そのマンションは建っている。
夕方になれば、散歩をする人達で土手沿いは賑やかになる。

イオン、高知駅、赤十字病院。
車で5分くらい。遠くの山々も眺められ、立地の良い場所だった。
25年住んだ、想い出深い場所だ。

主人と一緒に、頻繁に従姉妹のマンションに遊びに行った。
行くよーなんて連絡もしないで、突然玄関を開けると、
『なんか、来る気がしたがー』
と笑って迎えてくれた日々。

最初は勢いよく開いていた鉄のドアも、数年ごとに重たくなった。
「姉ちゃん、カギ閉めとったん?」
と聞くと、
『ちがうがー、あのねー、ドアがおもとおなってねー開かんが』

潤滑油を吹き付けて、開けたり閉めたりを繰り返した。
ベランダが広くて、ヴヴヴが一番好んだ場所だった。
『ここはええとこじゃのう、他へは行くなよ。ここが一番ええわ』
そう言いながらベランダに立ち、眼下に広がる景色を、ずっと眺めていた。

祖谷から運んだテッセンも、ベランダの縁を埋めるように、毎年紫色の花を咲かせていた。
お正月には、従姉妹の次女家族も集まり、ヴヴヴを囲んで、毎年賑やかだった。
とりたてて、何かを一緒にするでなく、孫達はゲームに夢中になり
それぞれ陣取る場所もバラバラだったけど、同じ空間で私達は、同じ空気を愉しんでいた。

ヴヴヴがお刺身を一つ、膝に落としただけで、孫達は大笑いし、何を食べても美味しかった。
一緒の時間がとびきりの隠し味だったから。
ヴヴヴが逝き、いつしか笑い声が消えていった。金魚の跳ねる音が、時折部屋に小さく響いた。

歳月は流れ、自立した長女は子供と共にマンションを出た。
孫達も高校、中学を卒業する多感な年齢になった。
従姉妹は、初めて一人暮らしになったが、のんびりとは出来なかった。

孫達に催促されては、自転車を走らせ長女のアパートに行き、買い物代行に、手料理を作る休日。
自営のカラオケスナックまでは、タクシーで往復二千円。

そして、この一年間。
途方に暮れながら、体調を崩しながら、やり繰りばかりを繰り返した苦悩の一年間。
従姉妹は、悩んだ末に決意した。

店の近くで安いアパートを探し、家賃とタクシー代を削り、生活費を工面することを。
小さな店を守る為に、そして自分がこの現状を生ききる為に。

そして、今、大量のゴミの部屋で、始末の付けられない想い出の品と、闘っている。
昨日、私はその捨てられない品物の一部を愛車に積み込んで、再び我が家の物置に移動した。
物置だけが、賑やかになった。

何かが起こるたびに、被害に遭うのは一般庶民だ。
嘗て、国民が戦争に駆り立たされたみたいに、命令と法令を振り翳され、従わなければ罰金。
日本全国の飲食業関係者や、労働者が平等で無い補償の中で、苦しんでいる。
生命を絶つ人もいる。
ウイ○スの攻撃は止まない。
最終目的に達しない限り、新たなウイ○スが、攻撃を仕掛けて来るだろう。

高知からの帰り。 
積んだ荷物の小さな振動音を聞きながら、走った。
何故か、切なくなって、鼻が痛くなった。目頭が熱くなった。  
じわりと、涙が滲んできた。

テッセンの花言葉は、高潔。
私とは、無縁の言葉でございます。
そして、従姉妹は、
高血圧で ございます。
 
           かしこ













    






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