27年前の今日、
私の22歳の誕生日の朝。私の、母の誕生日でもある4月12日の朝。
あの日、母が脳梗塞で、倒れた。
当時、帰省していた、兄と一緒に、町の病院に向かった。
山々の桜の花が、まさに咲き誇っていた、今日と同じ風景の朝だった。
重度の脳梗塞だった。
徳島市内の大学病院のベットが空くまでの、十日間余り。
母は、暗幕を張られた、個室で絶対安静を、医師から告げられ、
天井だけを見つめながらの、辛い時間を過ごしていた。
テレビも禁止。物音を起てないように、細心の注意を、受けた。
今にも裂けそうな、動脈溜が、数ヶ所見つかっていたからだった。
病院代の支払い、生活費。私は仕事に行きながら、病院に通っていた。
晴れた日の午後。
仕事仲間が、山桜を一枝、折って、私に無造作に渡してくれた。
「お母さんに、持っていけや!喜ぶぞ!」
山桜を、新聞紙に包んで、その日の夜、病院に向かった。
当時、道は今みたいな、舗装は少なく、町までには、片道1時間半位はかかっていた。
ガタガタ道を、どんなに慎重に走っても、
助手席の足元に置いた、満開の桜の花びらは、少しずつ、枝から落ちていった。
病院の長い廊下にも、少しずつ、花びらが足跡を残していった。
今でも、はっきりと覚えている。看護婦さんに、空の瓶を貰って、桜の枝を押し込めて
母の病室のドアを開けた。
ベットの上の、小さな電灯の紐を引き、明かりを点けた。
「母さん、見える、わかる!桜よ!」
母は、すぐに、
「まあ~」と小声を出し、小さく微笑んだ。
「母さん、お花見しよう!ちょっと暗いけど、満開の桜じゃよ!」
母と二人きりで、真っ暗に近い部屋で、ただ黙って、山桜の枝を見ていた。
電灯の薄明かりの中で、淡い紅色は、優しく黙って、咲いていた。
あの日から、
27年が過ぎた。
そして昨日、近所に住む、同級生のお母さんが、
クモ膜下で、倒れた。
市内の大学病院に、家族の意向で、搬送された。
駆け付けた、病棟の待合室の長椅子に、他の患者さんの、付き添いらしい家族の方が
疲れきった様子で、横になっていた。
走馬灯のように、これまでの私の時間が、浮かんだ。あの人達は、これまでの私の姿。
必死ばかりを、繰り返していた日々。
母が切り盛りしていた食堂の、お客さんの未納金を、一人で一件、一件、集めた事。
不愉快な事も、言われた。
全部、一人で乗り越えた。
母を守りながら、生きる為に。
どんな事でも、乗り越えられた。
私は、我が強いから、頑張る事が出来たのではない。
我を強く持たなければ、
生きていけなかっただけの事。
私は、父が生きていた頃は、
泣き虫で、甘えん坊だった。
桜の季節になると、
思い出す。
母との様々な思い出。そして、愛しい句。
良寛の辞世の句。
散る桜 残る桜も 散る桜
来年の桜には、
負けない
自分自身で在りたいと想う。
私の22歳の誕生日の朝。私の、母の誕生日でもある4月12日の朝。
あの日、母が脳梗塞で、倒れた。
当時、帰省していた、兄と一緒に、町の病院に向かった。
山々の桜の花が、まさに咲き誇っていた、今日と同じ風景の朝だった。
重度の脳梗塞だった。
徳島市内の大学病院のベットが空くまでの、十日間余り。
母は、暗幕を張られた、個室で絶対安静を、医師から告げられ、
天井だけを見つめながらの、辛い時間を過ごしていた。
テレビも禁止。物音を起てないように、細心の注意を、受けた。
今にも裂けそうな、動脈溜が、数ヶ所見つかっていたからだった。
病院代の支払い、生活費。私は仕事に行きながら、病院に通っていた。
晴れた日の午後。
仕事仲間が、山桜を一枝、折って、私に無造作に渡してくれた。
「お母さんに、持っていけや!喜ぶぞ!」
山桜を、新聞紙に包んで、その日の夜、病院に向かった。
当時、道は今みたいな、舗装は少なく、町までには、片道1時間半位はかかっていた。
ガタガタ道を、どんなに慎重に走っても、
助手席の足元に置いた、満開の桜の花びらは、少しずつ、枝から落ちていった。
病院の長い廊下にも、少しずつ、花びらが足跡を残していった。
今でも、はっきりと覚えている。看護婦さんに、空の瓶を貰って、桜の枝を押し込めて
母の病室のドアを開けた。
ベットの上の、小さな電灯の紐を引き、明かりを点けた。
「母さん、見える、わかる!桜よ!」
母は、すぐに、
「まあ~」と小声を出し、小さく微笑んだ。
「母さん、お花見しよう!ちょっと暗いけど、満開の桜じゃよ!」
母と二人きりで、真っ暗に近い部屋で、ただ黙って、山桜の枝を見ていた。
電灯の薄明かりの中で、淡い紅色は、優しく黙って、咲いていた。
あの日から、
27年が過ぎた。
そして昨日、近所に住む、同級生のお母さんが、
クモ膜下で、倒れた。
市内の大学病院に、家族の意向で、搬送された。
駆け付けた、病棟の待合室の長椅子に、他の患者さんの、付き添いらしい家族の方が
疲れきった様子で、横になっていた。
走馬灯のように、これまでの私の時間が、浮かんだ。あの人達は、これまでの私の姿。
必死ばかりを、繰り返していた日々。
母が切り盛りしていた食堂の、お客さんの未納金を、一人で一件、一件、集めた事。
不愉快な事も、言われた。
全部、一人で乗り越えた。
母を守りながら、生きる為に。
どんな事でも、乗り越えられた。
私は、我が強いから、頑張る事が出来たのではない。
我を強く持たなければ、
生きていけなかっただけの事。
私は、父が生きていた頃は、
泣き虫で、甘えん坊だった。
桜の季節になると、
思い出す。
母との様々な思い出。そして、愛しい句。
良寛の辞世の句。
散る桜 残る桜も 散る桜
来年の桜には、
負けない
自分自身で在りたいと想う。
ホント辛かったです。
が、これも人生の重要な一部だと考えました。
そーいえば、山菜が美味しい季節ですね。
これからの、祖谷の新緑は綺麗ですよ。私の大好きな季節です。
水、空気、匂い、
すべてがご馳走です。遊びに来て下さいね。