秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

27年前の誕生日  SA-NE

2010年04月13日 | Weblog
27年前の今日、
私の22歳の誕生日の朝。私の、母の誕生日でもある4月12日の朝。
あの日、母が脳梗塞で、倒れた。
当時、帰省していた、兄と一緒に、町の病院に向かった。
山々の桜の花が、まさに咲き誇っていた、今日と同じ風景の朝だった。
重度の脳梗塞だった。
徳島市内の大学病院のベットが空くまでの、十日間余り。
母は、暗幕を張られた、個室で絶対安静を、医師から告げられ、
天井だけを見つめながらの、辛い時間を過ごしていた。

テレビも禁止。物音を起てないように、細心の注意を、受けた。
今にも裂けそうな、動脈溜が、数ヶ所見つかっていたからだった。
病院代の支払い、生活費。私は仕事に行きながら、病院に通っていた。
晴れた日の午後。
仕事仲間が、山桜を一枝、折って、私に無造作に渡してくれた。
「お母さんに、持っていけや!喜ぶぞ!」
山桜を、新聞紙に包んで、その日の夜、病院に向かった。
当時、道は今みたいな、舗装は少なく、町までには、片道1時間半位はかかっていた。

ガタガタ道を、どんなに慎重に走っても、
助手席の足元に置いた、満開の桜の花びらは、少しずつ、枝から落ちていった。

病院の長い廊下にも、少しずつ、花びらが足跡を残していった。

今でも、はっきりと覚えている。看護婦さんに、空の瓶を貰って、桜の枝を押し込めて
母の病室のドアを開けた。
ベットの上の、小さな電灯の紐を引き、明かりを点けた。

「母さん、見える、わかる!桜よ!」
母は、すぐに、
「まあ~」と小声を出し、小さく微笑んだ。
「母さん、お花見しよう!ちょっと暗いけど、満開の桜じゃよ!」
母と二人きりで、真っ暗に近い部屋で、ただ黙って、山桜の枝を見ていた。
電灯の薄明かりの中で、淡い紅色は、優しく黙って、咲いていた。
あの日から、
27年が過ぎた。
そして昨日、近所に住む、同級生のお母さんが、
クモ膜下で、倒れた。
市内の大学病院に、家族の意向で、搬送された。
駆け付けた、病棟の待合室の長椅子に、他の患者さんの、付き添いらしい家族の方が
疲れきった様子で、横になっていた。

走馬灯のように、これまでの私の時間が、浮かんだ。あの人達は、これまでの私の姿。
必死ばかりを、繰り返していた日々。
母が切り盛りしていた食堂の、お客さんの未納金を、一人で一件、一件、集めた事。
不愉快な事も、言われた。
全部、一人で乗り越えた。
母を守りながら、生きる為に。
どんな事でも、乗り越えられた。
私は、我が強いから、頑張る事が出来たのではない。
我を強く持たなければ、
生きていけなかっただけの事。
私は、父が生きていた頃は、
泣き虫で、甘えん坊だった。


桜の季節になると、
思い出す。
母との様々な思い出。そして、愛しい句。
良寛の辞世の句。


散る桜 残る桜も 散る桜

来年の桜には、
負けない
自分自身で在りたいと想う。





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2 コメント

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春でした (ゆうじ)
2010-04-14 10:31:35
うちの親父もですよ。
ホント辛かったです。
が、これも人生の重要な一部だと考えました。

そーいえば、山菜が美味しい季節ですね。
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ゆうじ様 (Unknown)
2010-04-14 18:36:29
コメント、ありがとうございます。
これからの、祖谷の新緑は綺麗ですよ。私の大好きな季節です。
水、空気、匂い、
すべてがご馳走です。遊びに来て下さいね。
返信する

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