秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ(親父と昭和とベニア板③)

2011年11月24日 | Weblog
一昨日の気温は、マイナス1度…
剣山~いざりにも、初冠。
プンプン匂う雪の気配。
ガンバレ!無駄に痛むスタッドレスタイヤ!
ガンバレ!ガランガランと鳴いている…私の愛車!

……などと、言っているが、一昨日はヴヴヴ星人の甥様のお葬式だった。
高知から、従姉妹が参列。私も参列。

一年位前、お墓参りを兼ねて、叔母さんを甥夫婦の家に、連れて行ってあげた。
叔母さんの、生家だ。
『長いこと墓参りにいんでない~いんでみたいわ~』
ふと 呟いた叔母さんの願いを、すぐに叶えてあげていて、よかったと自分で自分を誉めてみる

お葬式は、町であげられた。

やっぱり サッパリ
あの世のことは、ワカラナイ…

家族の哀しみとは、真反対に 空は蒼かった。眩しい位 蒼かった。

遺された、喪服の奥様に、ハキハキした口調で、ロビーで声をかけていた女性がいた。
その方は、夫婦で 参列していた。

『しっかりせえよ!
しっかりせな いかんぞ!』

って…

あのね…
そんなにハキハキ言って…
あのね…
この喪服の奥様の、今の胸中を…
貴女は わかるかい?
貴女に わかるかい?

などと 思いながら、眺めていた。

ワタシは 解ったような、お悔やみの言葉を、ハキハキ話す、女も男も 好きになれない。
黙って 参列するのも、
『思いやり』
なのでは ないか…?自分が経験していない出来事に、ハキハキと共感出来る筈がない…
と思ってしまう
『めんどいワタシ』?
…で前回のエッセイの続きね

あれは 小学二年の夏休み。
忘れられない、思い出がある。

場所は徳島市内に
凛と佇む
《眉山》

小学校一年の時の、担任の女先生が転任して、徳島市内に帰って行った。

父は、この知的で、上品な、女先生が、大好きだった。
あれは、崇拝に近いものだった。

ワタシも 単純に憧れ…大好きだった。

なぜか、転任後も交流を持ち、父とワタシは、その先生の実家に、お招きされ
ノコノコと泊まりに出掛けた。
その夜
眉山に三人で、向かった。
父は一張羅の背広姿。
ワタシは、白いレースが衿元に付いた、紺色のワンピース。
オカッパ頭。眉より上で、パッシリカット!
ロープウェイに乗った。
乗る前に、おしっこが、したかったが、
父が 大きな声で、憧れの先生の前で、ワタシに聞いたから、恥ずかしくて
トイレに行くのを我慢した
父は、空気の読めない、オッサンだった。

今でも 覚えている。
ロープウェイに乗る前に、人込みの中で、叫ぶように言った 声っ

『まーこさん、シッコは!なかと~!』
※おしっこに行きたくはないか

我慢したまま
ロープウェイに揺られ、満員の座席で、父の膝の上に座り…

気が付いたら、父が慌てていた。

父の一張羅の背広のズボンの上に、オモラシをしてしまった 小学二年生オカッパ頭。

ワタシは あの時の出来事を、キチンと学習して、大人になった。
小さな子供を、トイレに連れて行く時は、必ず 手を引いて
『一緒に行くよ~』
と普通の声で、誘う。空気を読む
空気を読みすぎる…?空気を想像し過ぎる…?
ヤヤコシイ オバサンに成長した。

木造校舎
ダルマストーブ
ガラス窓の雪景色
カチカチに凍った手袋。
スピーカーから流れた、始業の鐘の音
先生の足音

『がっこう』
が あった…
『せんせい』
が いた…
『せいと』
が いた…

学校から帰ると
近所のともだちと
日が暮れるまで、遊んだ
自然を相手に、傷だらけになって、遊んだ。
絆創膏も、消毒液も、うがい薬も 要らなかった。

生きる為に
誰もが、平等だった。
毎日
『にんげん』
を やっていた。

大震災の後の
生きる為だけの シンプルな姿に
にんげんを 見た。

まだ、この場所には、
昭和が、残っている

だから 祖谷が、
恋しくなるのではないか…

この連載…
どこで 辞めようか?
ちと 焦る…?
お菜菜で あった



























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