楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

末社の機(はた)神社とは

2016-10-18 16:54:32 | 日記

末社の機神社です。

この前には、このような案内板があります。

「機神様」は、蕨地方(現在の蕨市域や川口市芝地区など)を一大織物の町とした功労者、「二代目高橋新五郎・いせ夫妻」と新五郎が信仰していた「関東宮」(住吉神社とも徳川家康とする考えもある)を合祀したものです。

 

この蕨市周辺を織物の一大産地とした、「高橋新五郎・いせ夫妻」の遺徳を偲ぶ神社です。社名は「機神社」、または「機神様」とも呼ばれています。高橋新五郎が信仰していた「関東宮」とともに合祀した神社となっています。お社は塚越稲荷社境内にあります。

                                                                     つづく

 


その神社の名称の由来とは

2016-10-09 12:37:11 | 日記

蕨市には、塚越稲荷神社という神社があります。創建年代は不詳ですが、明応年間とも貞亨年間ともいわれています。社殿が鎮座する小高い丘は、経塚といい、玄快という廻国の沙門(出家僧)が伏見稲荷に参籠の折、お告げにより当地に法華経一万部を埋納した経塚を築いたもので、この塚より塚腰(塚越)の地名の由来となったといいます。

塚越稲荷神社所蔵の文化財には、猿田彦大神碑がありますが、市の有形指定文化財にもなっています。これらは庚申信仰に基づいて造立されたものとされます。また、本殿そのものも有形指定文化財ですが、保存状態はよく屋根はこけら葺きになっています。高橋新五郎遺跡というこれまた市有形文化財になっている遺跡がありますが、この遺跡は「機神社」「はた神さま」とも呼ばれ、二代目高橋新五郎とその妻いせ、そして新五郎の信仰した関東宮が合祀されたものです。高橋新五郎は寛政三年の生まれ、糸綿商の父の後を継ぎ織物の生産を決意し、織機に改良を加え機業家に広く普及させました。こうした業績を讃え後世の人たちが「はた神さま」として祀ったものです。

                                                 つづく