楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

小さい神社ではなかったよ

2021-07-28 17:14:55 | 日記

神社だと思って、近づくとこんな門がありました。日蓮宗の本法院というお寺ですね。中へ入って見ると

これが本堂です。

こんな扁額が掛かっています。面白いのは納戸の屋根にこんなものが

こりゃ、沖縄のシーサーじゃないのかな?

境内の一角に、こんな案内書が立っていました。春日神社の案内です。

蕨の春日神社は、蕨市錦町にある神社です。蕨春日神社の創建年代は不詳ですが、当社に隣接して日蓮宗本法院があることから、両寺の守護神として三十番神として創建したのではないかと考えられます。春日神社木造三十番神立像(市指定有形文化財)この三十番神立像は、基本的には一材でつくられ、顔かたちが個性的で像全体がていねいに彩色されており、また台座の底部には三十番神立像を奉納した本法院の檀家と思われる人名が記されています。残されている資料を総合すると、江戸時代の享保(一七一六~一七二六)頃に造立されたものと考えられます。造立時期が古く、造立背景が分かり、また保存状態も良いことなどから、蕨を代表する文化財のひとつとして大変貴重なものであります。ということでした。

本殿はこのように建っていました。

また、少し行くと通りの向こうにお寺らしきものが見えて来ました。

こちらが本堂です。日蓮宗寺院の宝蔵寺は、長久山と号します。宝蔵寺は、日祐(永和元年1375年寂)が開山となり創建したといいます。

                      つづく


さて、次を目指して行くか

2021-07-27 16:41:27 | 日記

ところで、親切にいろいろ教えていただいたおじさんがいた場所を覗いたところ、

ここがそうですが、定正寺といい、真言宗寺院の稲荷山と号すそうです。定正寺の創建年代は不詳ですが、塚越稲荷神社の別当寺として創建、神仏分離令により明治4年廃寺となったといい、現在は観音堂のみが残されており、足立坂東三十三ヶ所霊場33番、北足立八十八ヵ所霊場62番となっています。神社とお寺が習合していた名残りがよくわかる場所です。神社の境内にあるので、神社の中に入って行きます。塚越稲荷神社のとなりというか、境内のなかにあります。定正寺(じょうしょうじ)寺は明治4年(1871)に廃寺となっており、観音堂だけが残った様です。どうやらここがそうなんですね。

この場所から次へと進むと、街中を歩きます。

道路上には、こんなタイルもあります。

こんな場所に来ました。蕨は江戸時代に中山道の板橋の次の宿場町として繁栄した街。その雰囲気を今に伝えるのが、蕨本陣跡です。蕨には本陣が2つあり、その内の岡田加兵衛本陣の跡が残っています。本陣とは、大名や公家が道中に休憩や宿泊をする場所。歴史の教科書にも出てくる水野忠邦や皇女和宮も、この蕨の本陣に宿泊しました。隣接する歴史民俗資料館では、宿場町だった蕨の歴史を紹介。充実した資料を無料で見学できるので、ぜひ立ち寄って欲しい観光スポットです!

この奥にある小さな神社は春日神社というそうです。

                      つづく


ここは残念ながら、この次に

2021-07-24 07:13:47 | 日記

来ましたよ、ここは以前から知っていた場所です。でも、今回はスルーしましょう。

それにしても、随分近代的な入口だなぁ。

ここは塚越稲荷社といい、塚越3鎮守の1つで、「東の稲荷」とも呼ばれているそうです。創建年代は明応年間(1492~1501)と伝えられています。社殿は6メートルほどの塚の上にあり、「塚越」の地名の由来になった塚といわれています。境内には、蕨の織物業を発展させた「高橋新五郎」と妻「いせ」を祀った機(はた)神社や、塚越稲荷社の別当を務め、足立坂東三十三箇寺の33番札所の定正寺(じょうしょうじ)観音堂など様々な文化財が残されています。

塚越稲荷社境内にあるこの石塔は、文政13年(1830)に田村善太郎らが造立したものです。道を守る神様の猿田彦(さるたひこ)を祀っており、石塔の両側面には、川口の芝・鳩ヶ谷・戸田・江戸への道しるべが刻まれています。また、この石塔は、蕨宿の石工として有名な「卯之助(うのすけ)」の作品の1つです。

これは天満宮本殿、塚越稲荷社本殿左脇の覆屋(おおいや)の中にあります。一間社流れの見世棚造り形式で、長押〔なげし:柱と柱をつなぐ水平材〕の形や身舎桁の背を切り落としていることなどから、安土桃山時代から江戸時代前期の建築物だと思われます。この本殿内には、蕨市指定文化財の「木造天神座像」が納められています。

正面に見えるのは機神社という神社です。江戸時代末期から蕨では塚越村を中心に、綿織物業が盛んになりました。特に、蕨の綿織物業の発展に貢献した塚越村の高橋家5代目新五郎とその妻いせは、「機神様(はたがみさま)」として、塚越稲荷社境内にある「機神社」に祀られ、織物業の繁盛を願う人々の信仰を集めました。「機神社」前の鳥居〔嘉永5年(1852)建立〕には、「機屋繁栄」の文字が刻まれ、その信仰の深さを物語っています。現在、蕨西口駅前通りで毎年8月に「機まつり」が行なわれていますが、この「機神社」に、織物業の繁栄を願って8月7日〔高橋新五郎が織物業を始めた日と伝わる〕にお参りする行事が本来の「機まつり」で、現在も行なわれています。

 

丁度、地元の方が居合わせて、いろいろと詳しいお話を聞くことが出来ました。有難うございました。

                       つづく

 


今日はここからだ

2021-07-23 11:34:47 | 日記

降り立った駅は、戸田公園駅でした。

駅前にはこのようなちょっとした公園があります。

しばらく歩くと、どこかのお宅にこんなショーウィンドウが、売り物じゃ無い見たいですよ。

また、少し行くと個人のお宅見たいな庭に、こんな庚申塔がありました。

蕨市教育委員会の立て札が立っています。市の指定文化財なんですね。

やはり、古そうだと思ったけど、宝暦12年の石塔だったんだ。

                               つづく


狭山市の町には神社仏閣が多い

2021-07-17 16:35:37 | 日記

 ここは福徳院不動尊というお寺、二代目孫兵衛は不動明王尊を篤く信仰しており、年数回も成田山へ来詣し、成田山に金燈篭や多額の浄財の寄進を行うほどでした。これを聞いて、成田山新勝寺は彼の篤信に感銘を受け、大護摩を厳修してその浄灰をもって不動明王の尊像を謹製し、開眼の上、綿貫家に授与したと伝えられています。

可愛いお地蔵さんだこと、これより先へ行くと、八幡神社・大鷲神社・八雲神社・市立武道館となります。

寺宝も数あります。

八幡神社は旧入間川村の総鎮守ですが、過去に数回の火災に遭遇して古記録を失ったため、その創建年月は不明です。しかし、同社に残る『八幡神社縁起』によると、元弘3年(1333)5月に新田義貞が鎌倉幕府を攻めるため当地へ兵を進めた際、戦勝祈願に参拝したとあり、境内には義貞が馬をつないだという「駒つなぎの松」があります。本殿は市指定文化財で、ほかに県指定文化財「さはりの壷」があります。

この見事な彫刻には目を奪われます。

それでは、また次へと進みます。

                         つづく