楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

新田義貞が当地に本陣を置いた際に創建か

2017-03-30 15:26:43 | 日記

きれいに並んだ六地蔵、山門の前に祀られていました。

福驟山という表額が見えます。

ここは地蔵堂になります。

これは薬師堂になります。

ここにもきれいに並んだ菩薩像がありました。

そのほかの寺宝として、堂内には釈迦涅槃図と八相図という絵画が奉納されているようです。

ここが本堂ですが、なかなか立派な建物ですね。

扁額には徳林寺とあります。鎌倉幕府倒幕へと動いた新田義貞が当地に本陣を敷いたそうですが、その折に当所の地頭の小澤某の持っていた唐様の正観音を閲覧して本尊としたとされています。僧の存松という人物が開山したもので、武蔵野三十三観音霊場17番に当たるお寺だそうです。

本堂の片隅には、こんな可愛らしいお地蔵さんが立っていましたが「お小僧さん」と彫ってあります。

 

 つづく

 

 


梅香る天満天神社へ

2017-03-16 19:55:57 | 日記

途中で、訪れたのが大国神社という小さな末社とも思える神社です。

さらに進むと、赤い大きな鳥居があり、その先に拝殿があります。

天満天神社とあります。どういう神社なのでしょう。こちらの「風土記」によると、当地は古くから商家と農家に分かれていましたが、商家はとくには繁栄しました。それは、江戸時代から明治時代中頃にかけ入間川を利用した西川材という材木を運ぶ筏流しの商人の取引地として金を落としたからです。その後は材木問屋も多くなり、ますます繁栄したことから文化面へと目が向けられ学芸の向上を願って、天満天神社を勧請したものとされています。

祭神は、京都の北野天神社と福岡の大宰府天満宮から菅原道真公の分霊を受けて鎮座したものとされています。創建年代は明らかでありませんが、文久2年に改築されていた社殿を昭和37年に新築したとありました。

境内には、折りしも梅が咲き誇り正に天神社の栄えある姿を象徴しているようでした。

 

 

つづく

 

 

 


神社二ヶ所を巡る

2017-03-08 14:19:27 | 日記

清水八幡宮という神社だそうです。立て看板には源義高終焉の地とあります。この人物は、どういう人なのでしょう?調べたところ、源義仲、というより木曽義仲の嫡子だそうです。頼朝により人質として鎌倉に送られ、頼朝とその妻の北条政子の間に生まれた娘の大姫の婿になっていたそうです。義仲が頼朝に討たれたのを知ったため、自分にも難が来ると従者6人ばかりを連れて祖父の義賢のいる大蔵館や義仲を助けた畠山重能の地(菅谷館)のある嵐山町へと逃げました。ところが、ここ入間川の河原で頼朝の追手に討ち果たされました。このくだりは「吾妻鏡」にも載っているそうです。その討たれた場所が、この付近ではと神社を祀って建てたのが清水八幡宮だそうです。

随分と質素な扁額のようですが、その歴史には深いものがありますね。

今度、訪れたのは「子之神社」という神社です。

何やら個人のお宅のようにも見える拝殿ですね。

入間川町誌によると、当初は慈眼寺というお寺の境内にあったそうですが、お寺が焼失し、一時諏訪神社の境内に遷されました。さらに、諏訪神社社殿改築の際に、ある者がご神体を家に持ち帰ったところ悪疫にかかり恐ろしくなり奥富村のある家に遷したそうです。ところが、ここでも一家が悪疫にかかり、再び諏訪神社の境内に仮宮を建てて祀ったそうです。後に子ノ神町内に社殿を遷し、ご神体を祀ったということです。子ノ神は飯能にある子ノ権現社の信仰で、本尊は子ノ大権現だそうですが、写真にある石造の祠は出雲神社だそうです。夏の7月半ばには例祭が行われ、子ども神輿も出るそうです。

 

 つづく