楽しいお散歩

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

ここはどんな処かな

2022-04-30 17:42:57 | 日記

調べた結果は、こうでした。真言宗智山派寺院の三光院は、薬傳山海前寺と号し、三光院は、永雅法印が開山となり慶長13(1608)年に創建したといいます。近代においては、明治十一(一八七八)年第三小学校の前身である新盛小学校が置かれたり、旧内間木村役場も設置されたりした。本堂は昭和五十五年に大改修が行われましたが、木造骨組みは以前のままだそうです。

それでは失礼いたします。

また、しばらく行くと、道路の片側にこのように書かれた神社へと到着しました。寄って見ます。

浜崎氷川神社ということです。

右手には、浜崎会館という建物があり、時折みなさんが集まるんでしょうね。

こんな立て札も立っていました。

狛犬は、下に置かれています。

これは末社ですね。

ところで、この浜崎氷川神社とは立て札にもあったように、塩釜神社と縁があるようですね。

                          つづく

 


振り出しに戻ってこちらへ

2022-04-25 19:22:59 | 日記

新座駅に戻って来ました。

南口には駅前に、こんな大きな水車があります。

新座からこちら北朝霞駅へと来ました。

北朝霞の駅前は、この様になっています。線路沿いを歩いて東方向へと進みます。

こんなお寺へ到着です。三光院というお寺ですね入って見ます。

可愛らしい六地蔵が並んでいます。

これはどういう碑なんでしょう。調べて次回に説明することとします。

                             つづく


またまた神社だよ

2022-04-19 20:10:02 | 日記

鳥居の前に来ました。氷川神社とありますよ。入って見ます。

怖い顔をした狛犬が、こちらを睨んで吠えましたよ。

境内の片隅に明治維新百年記念碑という碑が建っていました。

なんと可愛らしい力石がありました。でも、なかなか重いですよ。

こちらは稲荷社でしょうね。

拝殿の正面です。

扁額には、氷川神社とあり昭和12年と書かれています。ところで、この神社は朝霞市溝沼という場所にあり溝沼氷川神社と言います。溝沼氷川神社は、寛文年間(1661-1673)に村民が畑を耕していた際に、地類権現と彫った石を掘り出したことから、地頭中山勘三郎が稲荷山と称されていた当地に地類権現社と称して創建、じるいね様と呼ばれていたといいます。字泉水の無格社氷川神社など地内の神社八社を明治40年合祀、氷川神社と改称したといいます。現在の本殿の中には、『風土記稿』に伝えられる石はなく、代わりに一七基の金幣が祀られています。地類神社から氷川神社へ改称した際の理由は定かではありませんが、明治四十年に字泉水の無格社氷川神社など地内の神社八社を合祀したことを契機に、村社にふさわしい社名をということで武蔵一宮に倣ったものでしょう。一七基の金幣の各々には社名と元鎮座地の字名が記されているが、その中に地類神社と記したものはなく、代わりに氷川神社と記したものが他より大きいのは、そうした事情を物語るものと推測されます。このようなことでした。

                           つづく

 

 

 


ここはどんな処かな

2022-04-15 16:35:52 | 日記

少し行くと、なんとなんとこんな大きな公園がありました。滝の根公園というそうです。ちょっと一休みして行きます。

緑いっぱいの公園には癒されました。

ちらりほらりと桜も咲き始めたようですよ。

お寺の前に来たようです。標柱には光善寺とあります。入って見ます。

この光善寺というお寺ですが、真言宗智山派の寺院で、密林山と号します。光善寺の創建年代は不詳ながら、江戸時代末期に編纂された新編武蔵風土記稿によると「真言宗新義にて、是も三寶寺末、密林山と號す、本堂五間半に三間半、本尊阿弥陀如来立像長三尺を安置す」とあります。また、近世においては石神井三寶寺の末寺であった。由緒等は詳らかでなく、『風土記稿』においても「開闢の年歴等スヘテ傳ハラス」とあり、また、「久ク住僧モタエテ今ハ泉蔵寺ノ持トナレリト云」ともあって、すでに当時から無住で、かつ泉蔵寺の管理下に置かれていたことが読み取れる。ただし、ごく短期間であったが、かつては無資格の僧が寺の掃除や寺有地の耕作をするなどして住み込んでいたこともあったようで、そうした僧のことは俗にナッショウ坊主と呼んでいたという。とありました。ナッショウ坊主とは面白い言い方ですね。

                              つづく

 


周りを見て、奥へ進むと

2022-04-14 11:08:33 | 日記

さぁ、周りをよく見て見ましょう。

奥へ進んで行くと、

隣り合わせのような場所に、お寺があるようです。入って見ましょう。

泉蔵寺という山門がありました。

境内には、このお寺に縁がある大師像でしょうか立像が建ってます。

梵鐘堂ですね。

不動明王像のようです。

この泉蔵寺というお寺は、この扁額にもあるように清澤山地蔵院泉蔵寺といい、宗旨は真言宗智山派で、本尊は木坐像の地蔵尊です。近世においては石神井の三寶寺の末寺であり、一時は蕨市の三学院の末寺となったこともあるが、現在においては京都の大本山智積院の直末となっている。『風土記稿』では永徳二(一三八二)年に寂した法印慶誉寂心房を開山としている。また、正長二(一四二九)年銘と永正元(一五〇四)年銘の板碑をともなうことから、少なくとも室町時代初期頃には何らかの寺院経営がなされていたと考えられています。ただし、もともと当寺は泉水地区にあったらしく、その頃は泉通院と称したともされ、正徳年間(一七一一)前頃に当地へ移建をみたのではないかとの推測もあり、一般には、古くは泉水の山の上にあったと伝え、泉水の泉と本尊である地蔵の蔵の字をとって泉蔵寺としたともいわれている。あるいは、渡来人が泉水に住み着いた際に立てられた寺であるとの憶測も飛び交っている。いずれにしても、長く無住時代が続いたようで、住職在住となったのは明治三十年からであり、現時点で三代目を数える。また、それ以来、光善寺を兼務している。なお、本堂・庫裡・客殿・観音堂とも昭和五十七年に改築している。とありました。かなり古い歴史もあるようですね。

                             つづく