さぁ、出発です未知の町へ
ほどなく小じんまりした堂宇がありました。近づいて見ると
十五番札所 清水観音堂とあり、説明版もありました。ちょっと周囲を見て見ます。
これは清水本村橋の石橋供養塔というそうです。この供養塔は方柱か太刀石碑で、天保四年(一八三三年)前川に石橋をかけた際、建立されたものです。建立以来、永く清水本村橋の南のたもとにありましたが、平成十六年一月、人道橋の設置工事にともない隣接の現在地へ移設されました。供養塔は、橋の構築と長期の保存を願い、さらには、迷いの世界から悟りの世界へ人々を「渡す」という仏の教えにちなんで建てられたものです。当時の民間信仰の一端を示すものとして貴重です。
清水観音堂は、東大和市清水にある観音堂です。清水観音堂の創建年代等は不詳ながら、新編武蔵風土記稿では貞治7年(1368)銘の古碑があったといい、古くより祀られていたのではないかと推定できます。多摩八十八カ所霊場15番です。清水観音堂所蔵の文化財:十五番札所 清水観音堂(東大和市旧跡)清水本村橋の石橋供養塔(東大和市郷土資料)
この清水観音堂は、清水三十三観音霊場の十五番目の札所で、霊場は、狭山丘陵付近に点在しますが、一説には天明八年(一七八八)に創設されたと言われています。観音巡りは、一人の人間としての安らぎを求めるためのもので、明治の中期ごろまで盛んでした。本尊は、正観世音菩薩で、作者は行基といわれ、長さ一尺五寸(約四五センチメートル)の立像が安置されています。(清水観音堂詠歌)月影も 清くうつれる水の面 ふかきちかひを くみてしるらむ(東大和市教育委員会掲示より)
つづく