ご覧下さい、「新田義貞駒繋の松」とあります。あの古い切り株が、その松でしょうか?確かに、ここに新田義貞が立ち寄り、自分の乗っていた馬を繋ぎ留めたのかも知れません。
これは、「さわりの壷」というものについての説明です。大正12年に本殿を移転する際に発見されたものだそうです。中には金属の破片が入っていて、創建時の地鎮祭の時に埋められたものだそうです。さわりとあるのは、銅を主体にした合金のことで叩くとよい音がしたそうです。
これは、旧本殿の屋根下に彫られていた彫刻です。見事な彫物と透かし彫りですね。
ここは神楽殿になります。例大祭の際には、獅子舞も披露されるようです。
それでは、此の辺で狭山市からはお別れします。次はどちらへ・・・・。
おわり