楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

その先を行くと

2023-04-28 17:42:09 | 日記

邸内の奥には、広々とした公園があり、このような案内版もあります。

また、このような顕彰碑も建っていました。

それではまた上水に沿って歩きましょう。

こんなちょっとした広場があります。

井の頭公園に近くなって、こんな立派な橋が出て来ました。萬助橋という橋です。

さらに井の頭橋というやや小ぶりの橋もあります。公園の方へ行って見ます。

うっそうとした森林のような場所があり、ここは自然文化園の一部なんでしょう。

                    つづく

 


今日は、ここから出発です

2023-04-24 17:54:51 | 日記

しばらく休んだので、日を改めて前回の続きを歩くことにしました。

三鷹駅の南口を降りて少し行くと、

電車の線路に沿って、このような橋があります。「みたかばし」とありますね。

また、少し歩くと何やら記念碑らしきものがあります。「玉鹿石」とあります。この玉鹿石というのは、太宰治ゆかりの玉鹿石、津軽金木町産の大きな石です。井の頭公園から玉川上水に沿ってJR三鷹駅へ向って行く道は「風の散歩道」といいます。途中には門前に「路傍の石」が置かれた山本有三記念館もあって、その中ほどにあるむらさき橋を過ぎて三鷹方面へしばらく行くと、歩道の脇に玉鹿石(ぎょっかせき)という大きな石がポツンと置いてあるのに出会います。この石には、「青森県北津軽郡金木町産 1996年(平成8年)6月」と書かれたプレートが添えられているだけで、何の説明もありません。近くの玉川上水の畔で物憂げに流れに目をやる太宰治の写真が出ています。北津軽郡金木町(現五所川原市)は太宰治のふるさとですね。太宰は昭和23年(1948)に山崎富栄と玉川上水で入水心中して亡くなりました。その入水地点がこの石の近くなのだそうです。遺族への配慮から、詳しい説明を避けて、玉鹿石は太宰治を偲ぶ無名碑としてここに置かれているようです。

また、少し行くと、このようなむらさき橋由来の説明版とともに「むらさき橋」に到着しました。先ほどの説明とは逆の順で歩いています。

ほどなくして、人だかりのしている場所に来ました。どうやら、ここが山本有三記念館のようですね。

中へ入ると、やはりそのようです。

ところで、この記念館とは山本有三がそこに暮らし、『路傍の石』、『米百俵』などを執筆した洋館を再生して記念館としたのが始まりだそうです。実業家・清田龍之助の住宅として大正15年に建てられたレトロな洋館で、昭和11年に山本有三が購入し、三鷹村(現・三鷹市)下連雀に転居しました。建物の南側には有三記念公園があり、緑豊かな一画になっています。一帯は、大正8年の吉祥寺駅開業を機に開発され、関東大震災後の郊外移転ブームにのって開発された閑静な南井之頭田園住宅。山本有三は、売り出された洋館を昭和11年に購入し、進駐軍に接収される昭和21年まで、家族(母ナカ、妻はな、4人の子供)とともにここに暮らしていたそうです。館内は、往時の書斎などを復元し、山本有三の生涯と作品を紹介する記念館となっています。1階に長女の部屋、応接間、食堂、イングルヌック(暖炉と暖炉脇の空間)、テラス、2階に和室書斎、洋室書斎、書庫、長男の部屋、展示室、バルコニーがあります。建物の南側に広がる有三記念公園は、芝生が広がり、山本有三の愛した竹も植林されています。この地は、玉川上水に沿った立地で、すぐ近くには先ほど通って来た太宰治が昭和23年6月13日、愛人と入水した場所もありますね。

                        つづく

 


終盤に近付いたね

2023-04-22 12:07:29 | 日記

取り合えず、三鷹駅へと向かうことにします。

 上水に沿って歩きましょう。途中に、”野鳥の森”という公園がありました。

駅の方向へ舵を切り住宅街へ入ると

 このような記念館の前に来ました。ここは、三鷹駅から北西方向に500メートルほど、桜通りをケヤキ橋西交差点から少し来た場所にあります。表札には「東海大学松前記念館」と出てます。

また少し行くと、このような建物と、下には説明書きされた石碑のようなものがあります。玄関には、胸像が建てられています。石碑をよく読んで行くと、東海大学の創始者:松前重義という方の住まいだったようです。この方は、昔の逓信省で『無装荷ケーブルによる多重通信方式』等の画期的な発明を行った技術者で,後に逓信省の工務局長。戦後は衆議院議員となった。自らも教育者の道を志して、昭和8年(1933) にドイツに留学した際にデンマークで国民高等学校に寄宿し,その教育事情をつぶさに視察。帰国後「長距離無装荷ケーブル通信方式」の研究に対する奨学祝金を基金として,東京・武蔵野にデンマーク国民高等学校を範とした小さな私塾「望星学塾」を開いたそうです。この学塾は後に東海大学設立の母体となったということでした。ここは、道場として近隣の方々の体力づくりや柔道などを教えているようです。

駅近くの上水は、このような行きどまりになっていて、水流は地下を流れているようです。

三鷹駅の入り口近くにも、このような独歩の碑があります。武蔵野と国木田独歩の縁は、この街に根付いていたんですね。ということで、この散歩はここから帰ります。

                     この稿おわり


そろそろ疲れて来たかな

2023-04-20 19:25:35 | 日記

それではまた先へ進みましょう。

また、橋へ来ました。ここは松美橋という橋だそうです。

今度は、大橋という橋へ到着です。この近くには昔の線路跡があるそうですよ。

大橋についての歴史がつづられた案内版がありました。

すぐ近くに、新しい「いちょう橋」という橋もあります。

近くにこんな広場もありました。

                    つづく

 


いろいろな碑があるんだな

2023-04-17 09:48:55 | 日記

この付近は、武蔵境の駅につながる道路や「境浄水場」があります。その歴史について、以前は玉川の流れに境水衛所という工作物があったのですね。

これが、現在の境浄水場ですね。

このような見やすい案内版もあります。

やがて、うど橋という橋に来ました。どういう橋なんでしょう?

調べたところ、次のような史実がわかりました。『今から180年位前より、土地の人々が、薪炭をつくり、落ち葉の温熱で軟化独活(ウド)を栽培し、生活していた。栽培法が改良され大量出荷されて、全国に東京独活(うど)特産地として有名になった。橋を架けるに際して、特産地の名をとどめるため、独活橋と命名した。』うどという漢字も難しいですね。

また少し行くと、独歩橋という橋に着きました。この近くには、いろいろな碑がある見たいですね。

ありました。立札にあるように、国木田独歩の文学碑ですね。周辺をもっと見て見ると、

やや賑やかな通りの場所に、桜橋という橋です。

この碑は、国木田独歩の文章に関した碑だそうです。武蔵野と切っても切り放せない人に国木田独歩がいます。JR中央線「武蔵境駅」北口を出て、真っ直ぐに商店街を北へ約800メートルほど行くと、桜橋交差点です。信号機からわずかに右へ目を移すと、この碑があります。 桜橋のたもと、玉川上水の雑木林に覆われています。『今より三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、其処で下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある」と、彫られています。「武蔵野」第六章の書き出しです。この碑は、昭和32年、独歩五十年忌に武蔵野保存会の手によって造られたものといわれます。ということで、今日はここまでで次回に譲ります。

                      つづく