楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

さぁて、そろそろ終わりますか

2021-12-28 19:05:05 | 日記

六地蔵がキチンと並んで、お堂の中に立っています。

山水池もきれいにありました。

どうやら、ここが本堂のようです。

近づくと、立派な屋根と燈籠が際立っていました。

軒下には、立派な彫刻も見られます。ところで、ここ蓮花院というお寺は、真言宗のお寺で世音山妙智寺と号します。蓮花院は、歌人としても著名な寂蓮法師(藤原定長)が、建仁元年(1201)に開山、覺常(萬治元年1658年寂)が中興したといいます。相当古くて歴史があるんですね、当寺の観音堂は養老年間(717-724)の創祀だといい、堂宇は市有形文化財、観音像は武蔵野三十三観音霊場18番です。奥多摩新四国霊場八十八ヶ所74、76番、武州八十八所霊場76番です。蓮花院所蔵の文化財:蓮花院観音堂付勧進帳(入間市指定有形文化財)蓮花院の鰐口(入間市指定有形文化財)彰義隊遭難者の碑付地蔵(入間市指定文化財)前回にあったこの地蔵は、扇町屋で起きた彰義隊士殺害事件の後、村人が隊士たちを供養するために建立したもので、当初は、県立豊岡高等学校正門付近に建っていたが、道路拡幅工事など度重なる移転の末、今は当蓮花院に他の無縁仏とともに安置されています。台石には正面に「北 くろすみち」、右面に「西町屋道」、左面に「東いりま川道 かわこえ道」、裏面に「南 とうきょう道」と刻まれており、当時の道標を兼ねていたことが分かります。

さて、ここから駅へと向かいましょう。

途中で、こんな小さな稲荷神社もありました。

  それでは、入間の散歩はこれにて終わります。                    

 

 


ここは広いですね。

2021-12-27 12:17:01 | 日記

近くを流れる入間川を渡って、先へと行って見ました。

途中で、こんな立て札を見かけました。魅力的なお寺がありそうですね。

どうやら、入口近くに来たようです。

いろいろな歴史を刻んでいるお寺のようですね。もっと周りを見て行くことにします。

                               つづく

 


大きなお寺に来ちゃった

2021-12-20 19:55:09 | 日記

さぁて、どっちに行こうかな?

と言ってる間に、来ちゃったよ。

中に入って見よう。

ここは、手水舎だけど変わった置物があるよ。

本堂に到着です。

本堂のひさしには、こんな立派な彫刻があります。ところで、このお寺は長泉寺といい光福山と号します。長泉寺の創建年代等は不詳ながら、慶長年間(1596-1615)頃の創建だといい、江戸期には幕府より寺領10石の御朱印状を拝領してます。武蔵野七福神の大黒天です。

                      つづく

 


ここはどんな処かな

2021-12-18 10:23:13 | 日記

小さな護国神社という神社に来ました。

周りは随分広いですね。この巨木は、スダジイだそうです。

回っているうち、今度は違う神社の参道へ来ました。

今度は、春日神社という案内板がありました。

ところで、この春日神社は元仁元年(1224)の創建だと伝えられ、当社の別当だった蓮華院は、寂蓮法師(俗称藤原氏)が建仁元年(1201)の開山であることから、鎌倉時代初期の創建であろうといいます。黒須村と称されていた当地の鎮守社として祀られ、明治5年村社に列格、同年氷川神社が祀られていた当地に遷座、大正2年に、稲荷神社(字秋津)氷川神社(字久保田)愛宕神社(字沓切場)白山社、八雲神社(字後)を合祀しています。春日神社(黒須)所蔵の文化財;春日神社本殿付棟札(入間市指定有形文化財)があります。総桧造の本殿は、形式が母屋に向拝、浜床のついた一間社流造、屋根は板葺きとなっていて、組物や棰など各部材の形状や配置などに、江戸時代の正規の手法に則った設計がみられ、技法的には本格の神社建築であるそうです。また、部材に花鳥霊獣の彫刻が施され、様式・意匠的に見て江戸時代中期から後期頃の神社建築の特徴をよく残している。この本殿には、宝暦十四年(一七六四)の再建を記す棟札が残っており、建築年代を裏づける資料となっている。なお、棟札に記されている高麗郡長形村(現在の飯能市永田)の大工・細田源左衛門は、円照寺北向不動堂(市指定有形文化財)も手掛けており、両者には装飾細部の意匠に共通性も見られる。とのことでした。

                           つづく

 

 


さてさて、こんな広いお寺に来ましたよ

2021-12-10 17:41:18 | 日記

山門を入ると、左右には大きな仁王像が立っています。

高倉寺というお寺でした。境内は広いですね。

周囲には、ずらりとお地蔵様が並んでいます。

裏手は、大きな墓地があり、相当なお寺だと思われます。

可愛いお地蔵様でしょう。

梵鐘堂の屋根も立派です。

ここは観音堂です。高倉寺所蔵の文化財で、高倉寺観音堂付棟札一枚(国指定重要文化財)高倉寺は、曹洞宗に属し、山号を光昌山といい、観音堂は、室町時代初期に建立されたと推定される。棟札によれば、もとは飯能市白子の長念寺観音堂であったが延享元年(一七四四)高倉寺の第五世白翁亮清が譲り受けて移築したものである。その後昭和二十六年に修復が行われた。観音堂の平面形態は方三間で、周囲に縁を持つ。正面の産間と側面の手前市間を桟唐戸とし、内法貫上には弓形の欄間を設け、側面の中央一間に花頭窓を配している。柱は粽柱で、軒は一軒扇垂木としている。屋根は長刀反をもつ入母屋造で建立当時は茅葺であったが、現在は茅葺様銅板葺に改められている。関東地方における禅宗様式の代表的な建造物の一つである。また、堂内の本尊背後におかれている鉄製灯篭は室町期に流行した形式を伝えている。とありました。

本堂も立派ですね。

曹洞宗寺院の高倉寺は、光昌山と号します。高倉寺は、室町時代初期に観音堂として創始、能仁寺第三世材室天良禅師(天正18年1590年寂)が開山したといいます。境内の観音堂は、第五世白翁亮清が延享元年(1744)に飯能市白子の長念寺より譲り受けたもので、現在国重要文化財に指定されています。曹洞宗の寺院で光昌山高倉寺と称し、建立されたのは天正年間(一、五七〇年代)のはじめと推定される。開山は飯能市の能仁寺第三世材室天良禅師である。ここには国指定重要文化財(昭和二十四年指定)の観音堂があります。すぐ近くが入間川ですよ。

                           つづく