下高井戸駅からしばらく南へ行くと、
どこかで聞いたような名前のスポーツジムがありました。年配者なら知っている言わずと知れた元WBA・WBC世界スーパーウェルター級王者、輪島功一氏が設立したスポーツジムです。あえてボクシングジムと名付けなかったのは、「幅広い層に通ってもらいたいという思いがあった」と言われるように、とてもアットホームな雰囲気の中、子供からプロボクサーまで、それぞれの目的でボクシングと向きあっています。現在はご子息の大千(ヒロカズ)氏が会長に就任し運営をされているそうです。
今度は、建築中の建物の前に、この辺りには確か西教寺というお寺があったはず、して見ると改装中なのかな?なんだかお寺のお堂にも見える建物ですね。ちなみに、このお寺は浄土真宗本願寺派のお寺で、佛心山と号します。西教寺は、昭和元年(1926)説教所として創建、昭和22年に西教寺に改めたといいます。
普通の民家に見える建物、この近くには水口邸という昭和前期に竣工された国登録有形文化財があるそうです。敷地北寄りに東西棟で建つ木造2階建洋館の切妻造妻入で、赤色のフランス瓦を葺き、玄関に切妻造のポーチを付け、外壁は正面側西半部をモルタル塗だそうです。ここでしょうか?よくわかりませんでした。
また少し進むと、道路沿いにこんな庚申塚のお堂があり入って見ると
松庵稲荷神社という神社のようです。ここには西高井戸松庵稲荷神社とありますね。この西高井戸松庵稲荷神社の創建年代は不詳ですが、松庵村が開村した万治年間(1658-1660)以降に当地に創建された圓光寺の境内に松庵村内鎮守として創建したと考えられ、昭和9年に旧中高井戸村鎮守の稲荷神社を合祀したといいます。松庵村は万治年間(一六五八〜一六六〇)に松庵という医者が開いたと伝えられ、安養寺(武蔵野市)の供養塔にある萩野松庵がその人ともいわれています。
境内入口には元禄三年(一六九〇)、元禄六年(一六九三)銘の庚申塔があり、元禄三年のものには、「武州野方領松庵新田」と刻まれています。このことから元禄三年以前にはすでに新田開発の村のとして開かれていたものと考えられます。この神社は明治維新の際に廃寺となった円光寺(天台宗江戸八丁堀湊町普門院末)の境内にあったもので「新編武蔵風土記稿」の松庵稲荷の項には「上屋二間ニ二間半内ニ小祠ヲ置社前ニ鳥居ヲ立村内ノ鎮守ニシテ例祭ハ期日ヲ定メズ」と記されています。
稲荷神社ですから狛狐、それも親子でしょうか可愛いですね。
本殿に続く鳥居も赤い鳥居です。
ここが本殿です、昭和九年に隣村中高井戸村の鎮守稲荷神社を合祀以後、西高井戸松庵稲荷神社と称し、同十年には社殿を改築し、今日にいたっています。社前の五日市街道は江戸時代には「青梅街道脇道」とも呼ばれ、炭をはじめとする生活物資の輸送に大きな役割をはたしてきたそうです。なお、神社の北側裏手に円光寺歴住の墓地があり、元禄九年をはじめとする没年が記されているのが見られます。西高井戸松庵稲荷神社所蔵の文化財:旧円光寺歴住墓碑・供養塔で、ここに建てられている墓碑五基は、明治初年までこの附近にあった天台宗寺院・杉仙山円光寺の歴代住職の墓です。
つづく