楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

さぁ、今度はどこへ行こうかな

2019-01-18 19:57:55 | 日記

何だかすごい建物に到着しました。

博物館、科学館なのかな?

このドームは何だろう?

このオブジェは?

 ここは、東大和市郷土博物館でした。ここの郷土博物館のメインテーマは「狭山丘陵とくらし」。建物の中だけではなく、狭山丘陵全体を活動の舞台として、郷土の歴史、民俗、自然に関する事業をおこなっています。プラネタリウムも備え、天文に関する話題も提供しています 。あのドームは、プラネタリウムだったんですね。それにしても、随分立派な博物館です。勉強になることがいっぱいあるようですね、みなさん是非、訪れて見てうださい。

                                                             つづく

 


樹齢270年の杉の大木は見事

2019-01-15 19:05:45 | 日記

今度は、奈良橋にある八幡神社へ到着です。

近くに市史跡の八幡谷戸遺跡があり、その出土品は市重宝に指定されています。

 

奈良橋八幡神社は、東大和市奈良橋にある八幡神社です。奈良橋八幡神社の創建年代は不詳ですが、天正3年(1575)領主石川太郎衛門の寄付により社殿が再興されたといいます。

神社明細帳には、創立年暦不詳、太古より鎮守と公称し、天正31575)年に再興、とあります。狭山緑地東側の入口の、森林の中にあり、昔ながらの面影を残しています。

神社入口の階段わきにあった樹齢270年の杉の大木の根が、本殿の横に置かれています。

天水桶もなかなかのものです。

                                つづく


珍しい庚申塔がありました

2019-01-14 11:31:45 | 日記

またまた立派なお寺へやって来ました。

あれっ、六地蔵ではなく、七地蔵かな? いいえ、一番奥の地蔵は別の菩薩像のようです。

ハンカチの木というそうですが、きれいに花が咲いて本当にハンカチがぶら下がっているようですね。

本堂のようですが、ところで雲性寺所蔵の文化財は:庚申塔(阿字庚申)(東大和市郷土資料)で、この庚申塔は、上部に八葉の蓮華を座とした月輪を浮彫し、その月輪の中に梵字「ア」字を陰刻したもので、「阿字庚申」と名付けられています。庚申講中が造立した庚申塔とはその趣を異にする市内唯一の稀れな塔です。下部の三猿も、中央前向、左右横向に浮彫されており、めずらしい三猿配置です。塔の裏面に、正徳六丙申三月、法印伝栄と陰刻されていて、現在、庚申塔は本堂に安置されていますが、その台座は現在もその位置にあります。

仏足石には、きれいな彫り物がしてあります。

観音菩薩像もあります。

ここが本堂なのかな?

雲性寺という扁額が架かっていました。

たくさんの石塔が立っています。ところで、この雲性寺というお寺は、

真言宗豊山派寺院の雲性寺は、天王山観音院と号します。雲性寺の創建年代等は不詳ながら、当地の地頭職を務めていた旗本石川太郎右衛門家代々の墓があったといいます。狭山三十三観音霊場18番です。この雲性寺は、狭山三十三観音霊場の十八番目の札所です。霊場は、狭山丘陵周辺に点在するが、一説には天明八年(一七八八)に創設されたと言われています。観音巡りは、一人の人間としての安らぎを求めるためのもので、明治の中期ごろまで盛んでした。本尊は、十一面観世音菩薩で、長さ一尺二寸(約三十六センチメートル)の坐像が安置されています。

 


東大和市の原形となった神社

2019-01-11 09:16:20 | 日記

またまた、こじんまりした神社へ来ました。

高木神社は、東大和市高木にある高木神社です。高木神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には尉殿権現社と称していたといい、明治13年高木神社と改称したといいます。明治十七年、町村制度の大改正が行なわれ、それまでの數ヶ村を一区域とする行政区画が定められ、官選の戸長がこれを管轄し旧高木、清水、狭山、奈良橋、蔵敷、芋窪の六ヶ村を管轄する事務をとった。とありました。

珍しい「山神」という置き石です。

要所要所には、このような立派な彫刻があります。

旧六ヶ村をまとめて一区域とすることにより、ほぼ現在の東大和市域が形づくられたと言ってよい。今は当時の建物も大部分は失われたが、東大和市の原形をつくりあげた最初の役所跡として、歴史的に重要な遺跡である。とあります。ここは、現在の東大和市の基を為した神社だったのですね。

                                つづく


美しい庭園と板碑が素晴らしいお寺だった

2019-01-06 13:30:41 | 日記

しばらく歩いて、東大和公民館の前に来ると、

こんな像がありましたが、野球少年の像ということでした。

今度は、またお寺へ来ました。円乗院というそうです。

お地蔵さんには、みんな首がありません。

なかなか立派な怖そうな仁王像ですね。

と、思ったら、こんな可愛らしい小僧の地蔵もありました。

東大和市狭山にある真言宗智山派寺院の円乗院は、愛宕山醫王寺と号します。円乗院は、賢誉法印(平治元年1159年寂)が開山となり創建し、武蔵野三十三観音霊場8番、多摩八十八ヶ所霊場38番です。東大和公園の東側に隣接しています。この寺院は、過去に不慮の災禍で古記録が焼失したため、創建当時の事情は定かではありません。ただ、この寺院にある歴代塔には、賢誉法印(平治元(1159)年寂)を始祖とするという記録があります。徳治2(1307)年の年号のある板碑は、市郷土資料になっています。また鐘楼門(梵鐘を懸けた山門)は寛延2(1749)年に建てられたものです。山門と美しい庭園がやすらぎを与えてくれる静かな寺院です。文化財としての徳治二年銘の板碑は、円乗院が所有するこの徳治二年(一三〇七年)銘の板碑は、市内でも古い紀年銘をもつ板碑です。長さ七三センチメートル、幅二一・五センチメートルの石造(緑泥片岩製)で、現在本堂に保存されています。

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