参道に入ると、このような由緒書きがありました。それによると、日蓮宗寺院の妙福寺は、西中山と称します。妙福寺は、もと慈東山大覚寺と称し、天台宗の寺院として、嘉祥3年(850)に草創、鎌倉時代に中山法華経寺歴代の日高・日祐上人の巡錫に会い、元亨2年(1322)日祐上人により、法種山妙福寺として日蓮宗に改宗したといいます。改宗した日延から三代後は、代々法華経寺の貫頂が住職を勤めたので西中山と通称するようになったといいます。天正年中(1573-1591)以降歴代将軍から21石余の御朱印を賜り、大乗院、本応院、法性院、善行院、本立寺を塔頭に擁していました。寺域には祖師堂、本堂、仁王門、鬼子母神堂、鐘楼などがあり、庫裡の玄関に残る「からかさ造り」と呼ばれる小屋組は元禄14年(1701)の上棟と伝えられる貴重なものです、とありました。
鐘楼ですね。
これは凄い迫力のある日蓮上人ですね、北村聖望という有名な彫刻家による像だそうですよ。
それでは、また次へと参ります。
つづく