少し引き返すような道を西方向へ歩いていたら、
随分と屋根の反り返った建物が出て来ました。
建物の前には、こんな立て札が立ってます。この建物は、正福寺千体地蔵堂といい、都内唯一の国宝建造物です。地蔵堂本尊及び小地蔵尊像は、市指定文化財となっています。千体地蔵堂は、鎌倉円覚寺舎利殿とともに唐様建築を代表する建物です。波形欄間、花頭窓、屋根の反りなどに特徴があります。昭和8年-9年に屋根の茅葺きをこけら葺きに改修した際に発見された墨書銘により、室町時代の応永14年(1407)の建立とわかりました。寺の縁起では鎌倉幕府の執権北条時宗が鷹狩りの際病気になり、夢の中で地蔵菩薩からもらった丸薬で病が治ったことから地蔵堂を建立したといわれています。地蔵堂本尊は、昭和48年の修理のとき文化8年(1811)、江戸神田須田町万屋市兵衛弟子善兵衛と書かれた墨書銘が発見されました。また小地蔵尊像については、江戸時代の地蔵信仰が盛んなとき、多くの小さな地蔵尊の木像が奉納され、堂内の天井に近い長押に置かれ、千体地蔵堂の名もここに由来します。祈願する人は、小地蔵尊像を一体借りて、家に持ち帰り、願いが成就すれば別に一体添えて奉納するというもので、像の裏側には祈願者の名前や年号が入っており、大ささは10cmから30cmほどのもので正徳4年(1714)から享保14年(1729)のものが多く、奉納者は、地元は勿論、前沢・国分寺・小金井などに及んでいます。
正福寺千体地蔵堂と呼ばれるとおり、堂内は、多くの小地蔵尊が奉納されています。一木造り、丸彫りの立像で、高さが10-30cm位のものが大部分です。何か祈願する人は、この像を一体借りて家に持ち帰り、願いが成就すればもう一体添えて奉納したといわれます。背面に文字のあるものは、約300体で、その年号は、正徳4年(1714)から享保14年(1729)のものが多く、奉納者は東村山を中心に、所沢、国分寺、小金井にまで及んでいます。
奥へ入ると、また数多くの石像が並んでいます。
違いが分かりますか?
つづく