さて、その先に行って見ましょう。
歩いていると、赤いバラが咲いている垣根があり、思わずパチリ
おやおや、こんな公園に来ました。「大谷戸さくら緑地」とあります。ここは
UR都市機構 シャレール荻窪などの大規模住宅に隣接した小さな緑地です。防災倉庫と水飲み場があり、災害時の利用も想定に入れて作られ、平成25年4月に開園したそうです。シンボルはけやきの木、春の新緑と、秋の紅葉時期は美しい葉を広げ、公園設備としてはブランコ、お砂場、滑り台があります。
さらに進むと、
瀟洒な門構えの公園、「大田黒公園」へとやって来ました。思わず入りたくなる門構えです。
ホーゥーラ、この道が素敵でしょ!
奥にはきれいな庭園もありますよ。ところで、杉並区では有名な公園ですが、区立の都市公園。音楽評論家大田黒元雄の自邸を整備し、1981年(昭和56年)10月1日に開園しました。自邸の30%を公園にして欲しいという大田黒元雄の遺志に基づいて、遺族から杉並区に寄贈された土地に、周囲の敷地を合わせて公園として整備したものです。
可能な限り旧自邸の庭園の原形を残して、回遊式日本庭園として整備されており、正門から延びるイチョウ並木をはじめとして随所に巨木が残るほか、従前からあった池が再現されています。日本式の庭園技法が生かされた和洋折衷公園の成功例であり、美観がよく維持管理され、見る公園として高く評価されています。園内には、休憩室及び茶室や、1933年(昭和8年)に建てられたレンガ造洋館のアトリエを改装した記念館が設けられています。 ということで、ここで小休止して出発します。
おやっ、今度は神社らしきところです。
案内版があり、「天沼熊野神社」とあります。読んで見ると、天沼熊野神社の創建年代は不詳ですが、神護景雲二年(768)の創建とも元寇三年(1333)の創建とも伝えられます。
創立については詳ではありませんが、社伝によれば、神護景雲二年(768)、東海道巡察視が武蔵国に来たときに、氏神を勧請し別当を置いたのがはじまりと伝えています。また一説には、元寇三年(1333)、新田義貞が北条高時を討つために鎌倉へ軍を進める途中この地に陣をしき、社殿を創設したとも伝えられています。その後、応永二年(1395)朝倉三河守という武将がこの地に帰農した際、社殿を修理し、十に社権現と称するようになったといわれています。熊野神社と名称を改めたのは明治維新以後のことです。天沼は古来からの名称で、奈良時代末期の武蔵国の「乗瀦駅」から起こったといわれていますが、諸説があって定説はありません。この辺りからは室町時代の板碑が出土していることから、その頃すでに開発が進んでいた地域と考えられます。また、蓮華寺の過去帳によれば、天沼村はおそくとも慶長年間(1596-1615)には成立していたものと考えられます。
これは、手水舎です。龍の口から水が流れる工夫がされてます。
つづく