楽しいお散歩

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

随分広い公園のようですよ

2024-01-25 11:20:28 | 日記

案内図を見ると、随分広い公園のようです。一回りして見ましょう。

おや、神社もあるようです。御嶽神社と書かれた石柱が立っていますね。

 

これは、狛犬かな?いや御嶽神社なら狼じゃないのかな?それにしては随分やさしい顔をしてますね。見上げると、一段と上の方に本殿らしきものが見えます。

昇って見ることにします。さらに、上には末社もあります。

ここは、稲荷社のようですね、近くには、やはりお狐さんがこちらを睨んでいました。

本殿へと到着です。ところで、この神社は桜川御嶽神社と言うのですが、板橋区桜川にある御嶽神社です。桜川御嶽神社の創建年代は不詳ながら、上板橋村字栗原には、宝田家の祀る稲荷社しかなかったため、上板橋村字栗原・上板橋村字七軒屋の人々が武州御嶽神社(或は信州御嶽神社)を勧請したといいます。創建年代は不詳。旧上板橋村栗原(現・桜川の一部)・七軒屋(現上板橋)の氏神として、倭建命(やまとたけるのみこと)・金山毘古命(かなやまひこのみこと)・金山毘賣命(かなやまひめのみこと)を祭神とする。栗原の地は、康正二(一四五六)年、太田道灌が千代田村(現・皇居)に江戸城を築く際、同村宝田の住民を移動させたところとされ、この時村内に祀ってあった稲荷(現・宝田稲荷)もこの地に遷座させたという伝承もあって、往古より開けた土地柄であった。当神社もその頃、信州の御嶽山(一説に甲州)を勧請したものと伝えられる。境内にある嘉永七(一八五四)年銘の狼型狛犬は、山岳信仰を伝えるもので、同型のものとしては都内でも有数の古さを誇っている。毎年三月八日に行われる毘謝祭には、強飯式の面影を残す大盛飯の膳、大根で作った鶴亀(蓬莱山)を神前に供える風習が残されている。という説明でした。

おやおや、帰ろうとしたところ見えますか?屋根の上に、気持ちよさそうに寝そべっていた猫ちゃんがいましたよ。

                     つづく

 


円明院の見所はまだまだ

2024-01-23 10:48:56 | 日記

ところで、円明院の紹介がまだありました。

合掌したお地蔵様が、「なで地蔵」とも書かれています。これは自分の身体の悪い部分を、お地蔵様の部分に合わせて撫でると、良い効果があるようですよ。

六地蔵もきれいに並んでいます。

上人様の像にも、きれいなお花が飾ってありました。

おやおや、こんな小さなお地蔵様が熱心にお祈りしていましたよ。

それでは、本堂へ来たので祈願しておいとまします。

しばらく行くと、

大きな公園へやって来ました。城北中央公園といい、石神井川沿いの起伏に富んだ練馬区と板橋区にまたがる公園です。大小の野球場や陸上競技場、テニスコートなどの施設があります。ケヤキやイチョウ、サクラなどたくさんの樹木が植えられており、森林浴も楽しめます。1942年、防空緑地として整備されたのが始まり。1955年、東京都から立教学院に土地の貸出が行われた後の1957年、「上板橋緑地」として開園したそうです。1970年、立教学院から東京都に土地が返還されたのを機に、現在名になっている。

これが案内図です。この中を散策して見るとします。

                   つづく

 

 


ここにも、来ていました

2024-01-19 17:55:39 | 日記

歩いてる途中に、こんな大きな木を目にしました。「ねりまの名木」という標識が立っています。練馬区には、こうした大きな木が沢山あって、こうした形で保護されているんですね。

今度は、何とも奥ゆかしい古式な住宅がありましたよ。

氷川神社という神社へ到着です。中へ向かいましょう。

案内版も立っています。それによると、この氷川神社は、長禄元年(1457)に渋川義鏡が下練馬で石神井川を渡ろうとした時、淀む所にこんこんと湧き出ている泉を発見し、兵を休めて須佐之男命を祀り、武運長久を祈ったのに始まります。延享年間(1744-48)に海老名左近が現在地に遷して、51字の総鎮守になり、明治5年には郷社に指定されました。本社の創建は、社伝によると長禄元年(1457)、渋川義鏡が古河公方足利成氏との戦の途上、下練馬で石神井川を渡ろうとした時、淀む所にこんこんと湧き出ている泉を発見(これがおはま井戸)、兵を休めて須佐之男命を祀り、武運長久を祈ったのに始まるという。後に延享年間(1744-48)に海老名左近が現在地に遷して、51字の総鎮守になったと伝える。とありました、なかなか歴史もあるようです。

狛犬も威厳があるいい彫をしています。明治5年郷社となる古い石造物としては、延享4年(1747)銘の角柱型水盤、安永4年(1775)銘の鳥居、天明7年(1787)銘の狛犬、文久年中(1861-64)銘の力石があるそうです。この狛犬も、氷川神社の狛犬(練馬区登録文化財)だそうです。

ここは末社の稲荷神社ですね。

社殿に面しては神楽殿が建ち、本殿は石造の覆屋の中にあり、その裏には各町会の神楽庫が13棟並びます。他に征清記念碑(明治30年)、日露戦役記念碑(明治43年)があります。これが、その記念碑ですね。

本殿へと到着しました。

扁額は、このようになっています。この神社の文化財としては、有形無形を含め、氷川神社所蔵の文化財:氷川神社鶴の舞(練馬区指定文化財) 神輿渡御行列図絵馬(練馬区指定文化財) 神輿渡御の御供道中歌(練馬区登録文化財) 氷川神社の狛犬(練馬区登録文化財) 角柱型水盤(練馬区登録文化財) 大氷川の力石(練馬区登録文化財)となっています。

                   つづく

 


今日は、こちらへ来ました

2024-01-16 10:04:17 | 日記

練馬方面へと出向きました、こちらの公園でちょっと日向ぼっこしてから

小さい子どもの遊べる道具も揃っていていいですね。練馬区の大泉学園町にある公園で、春には桜の木々が咲き誇り、子どもとお花見気分を楽しむのにピッタリ。ほかにも、いろいろな木々が繁っていて、小さな頃から自然に親しめる良い場所です。園内には複合遊具、フェンスに囲われた砂場、健康遊具、ジョギングコースがあり、幼児から大人まで自分に合った過ごし方ができます。また、公園から徒歩7分ほどの場所には、「久保新田さくら公園」があります。練馬区はもともと自然豊かな農村地帯で、今も練馬大根などの農業、自然景観や公園が多くあります。とのことでした。ここから少し行くと、

こんなお寺に到着しました。圓明院とあります。案内版もありますよ、

真言宗豊山派寺院の円明院は、慧日山円明院西光寺と号し、開山僧行真、開基賢栄阿闍梨と伝えられ、賢栄阿闍梨の名を刻した文亀2年(1502)の板碑が境内から発掘されていることから、1500年前後の創建と考えられます。豊島八十八ヶ所霊場27番札所です。開基は、賢栄阿闍梨と伝えられ、賢栄阿闍梨の名を刻した文亀2年(1502)の板碑が境内から発掘され保存されています。また寺宝として文亀元年(1501)の弁財天像線彫のみごとな板碑もあります。最近の墓地整理の際、開山の宝篋印塔から座禅姿の白骨、永楽通宝銀銭などが発見され、寺宝として保存されています。ということで、かなり歴史はあるようですよ。

門前には、このような地蔵像や供養塔が並んでいます。中へ入ると

こんな大きな木が枝を広げています。

手水鉢がありますね。

おやおや、こんな可愛らしいお地蔵さまがお出迎えしてくれました。ちょっと寒いのかな?

                     つづく

 

 


金蔵院の周りを行くと

2024-01-11 19:52:03 | 日記

金蔵院へ行こうと一回りして見ると、

塀の向こうに大きな木がたくさんの枝を伸ばしているではありませんか。塀沿いに、解説版が立ってます。

 見ると、「旧谷口家のオニイタヤ」とあり、市の天然記念物らしいようです。このオニイタヤは、カエデ科の一種、イタヤカエデの亜種で、葉が大きく、裏面全体に毛があるのが特徴だそうです。葉がよく茂るために、板で屋根を葺いた板屋に例えてこの名(イタヤカエデ)があるようです。旧谷口家のオニイタヤは、樹高14メートル、幹周囲は4.2メートルあります。国分寺崖線には山地から下降したこの種がまれに見られますが、ここに生育する個体もその例で、分布の希少性、その大きさからも貴重とのことですね。

谷口家の門前ですが、中には入れませんでした。ここから、少し行くと

金蔵院の門前へとやって来ました。

中へ入って行くと、庚申塔、供養塔などが並んでいます。

本堂の見える正面に来ました。

ここは薬師堂とのことです。

本堂の左手に立っているのは、親鸞聖人像でしょうか? ところで、真言宗豊山派寺院の金蔵院は、天神山観音寺と号します。金蔵院の創建年代は不詳ですが、阿闍梨堯存(永禄9年1566寂)が中興、天満宮(現小金井神社)の別当を務めていたといいます。本堂左側のケヤキと右側のムクノキは小金井市指定天然記念物となっています。多摩八十八ヶ所霊場31番です。本堂は、享和三年(1803)に火災に遇ってから十六年後の文政二年(1819)に再建され、その後大正十一年に破風作りの屋根に直し、さらに平成二年十一月に改築建立され、今日に至っております。さらに、村民に親しまれた観音様であったことを物語るように、明治初期に第一小学校の前身である寺子屋(尚綗学舎)が設けられ、後大正時代には村役場が併設されていました。戦後、境内に白萩を多く植えたので、初秋になると小さい白い花でいっぱいになり、誰言うとなく”萩寺”といわれ親しまれており、また、南側には、市指定の天然記念物として樹齢三百年を越す、ムクとケヤキの大木があります。なかなか由緒あるお寺のようですね。今日の散歩は、これ位にして帰ります。