楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

七清水を訪ねて見ます

2019-04-29 11:04:36 | 日記

周りは、このように稲田が広がり素晴らしい景色が続いています。

最初に訪れたのは、竹林の下から湧き出る観音下の清水という場所です。

丁度、稲刈りの時期でした。

次に来た場所は、岩がごろごろした大下の清水というところです。

なにやら神社みたいですね。

彼岸花、栗も見られます。

不動明王像も建っています。さて、次はどこなのでしょう?

地元の人たちも利用している様ですね。ここは中形の清水という場所だそうです。

また、似たような場所に来ました。ここは、寺下の清水という場所です。近くにお寺でもあるのでしょう。

                                                        つづく

 


文化財も沢山あるよ

2019-04-27 19:55:44 | 日記

世明寿寺へ来ました。このお寺は、東崎山と号します。世明寿寺は、一峯(元和9年1624年寂)が開山したといいます。当寺普門閣の千手観音立像は、南北朝時代の作と推定され、東松山市有形文化財に指定され、また比企西国三十三所観音霊場17番となっています。

なんとも怖そうな仁王像ですね。

いろいろな額もたくさん架かっています。

この案内板にあるように、千手観音立像、二十八部衆、算額など市の指定文化財となっている寺宝があるようです。

六地蔵というより沢山のお地蔵さんが並んでいます。

おだやかなお地蔵さんの座像、ことぶき観音と言うそうです。

世明寿寺千手観音立像(東松山市指定文化財)市内最古の千手観音像で、総高は一九五センチの立像です。本体は楠の一本造りで、眼には玉眼が入っています。複雑で装飾的な折り返しを見せる衣文構成などには宋風の影響が見られるが、動きの乏しい類型的な表現となる点から十四世紀半ば即ち南北朝時代の作と推定されます。しかし鎌倉彫刻の伝統を良く伝える作品として県内の当代彫刻のなかでも力作の一つと考えられます。

世明寿寺二十八部衆(東松山市指定文化財)二十八部衆は千手観音の侍者で、この観音と同時期に奉納されたものと考えられます。特にこの寺のものは作も観音と同様と考えられ、かなりの傑作も多く、また二十八体全部と風神、雷神までが完全に揃っている珍しいものです。

世明寿寺の算額(東松山市指定文化財)これは明治十六年じゅういちがつ、東松山市岩殿字望月の住人神能小右衛門の門人である正代の小堤幾造が難問の和算を解答し、この寺に奉納したものです。

                                     つづく

 


地元を象徴する神社に

2019-04-23 07:20:39 | 日記

おやっ、今度は神社に到着しました。高坂神社といい、東松山市高坂にある神社です。高坂神社は、大同年間(806-810)坂上田村麻呂が当地を通行の際、日本武尊が東夷征伐の折にここに陣地を置いたという故事に因んで社を建立、八剣明神社と号したといいます。源頼朝が奥州征討の折には「猿田彦の面」を奉納したといい、室町時代には当地の領主高坂刑部が祈願所とした他、江戸初期に町奉行を務めた旗本加賀爪氏も守護神として崇敬、高坂村の鎮守社でした。明治42年境内末社の日枝神社・疱瘡神社、無格社天神社及びその境内末社の雷神社、無格社八雲神社を合祀、高坂神社と改めたといいます。

狛犬も威厳がありますね。

本殿をがっちりと守っています。

鎌倉から武蔵の府中を経て上州(現群馬県)に至る古道(鎌倉街道上つ道)は、登り降りを繰り返しながら、起伏の多い比企丘陵を縦断しています。高坂は、その道沿いにあったことから、比較的早くから開かれ、その地名は、文字通り高い坂が地内にあることに由来します。また、地内には古墳も多く、当社の境内にも剣前古墳と呼ばれる後期古墳があります。さて、次を目指しましょう。


 今度は、森の中に迷い込んだようです。

地元では、一生懸命にこうした緑を残す運動をしているようです。立て札にあるように、折本山という場所なんですね。

足元には、たくさんのコスモスが咲いていました。

                                           つづく
 
 

 

 


こんなお寺でした

2019-04-21 10:26:51 | 日記

東光院というお寺に行って見ることにします。

きれいに剪定された立木があります。正面が本堂になります。

ここは観音堂とあり、右手にはお墓がありました。

 なんとも珍しい変わった文字の扁額がありました。

観音堂の中を見ることが出来ました。こうなっています。

 六地蔵も整然と並んでいました。

訪れた時節柄、朝顔がたくさん咲いていました。さて、次へと進んで見ましょう。

途中で、こんな面白い標識を見かけました。お猿の石像の頭に方向指示がついています。

 

                                         つづく

 


東上線の沿線を歩いています

2019-04-10 19:49:22 | 日記

今日は、高坂で下車して歩きましょう。最初に訪れたのは

高済寺というお寺です。法音山多門院と号し、高済寺は、齋藤助右衛門(法名高梁院玉嚴道毘居士、元和8年1623年卒)が開基となり、野本無量壽寺第六世大渓和尚(文禄2年1594年寂)が開山、慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領25石の御朱印状を拝領したといいます。当寺は、高坂刑部の陣屋跡で、古の領主加々爪隼人正・同民部少輔の墓は市文化財に指定されています。

六地蔵も、きれいに並んでいますね。

これは庚申塔です。

今度は、東光院下の清水という水場に来ました。東光院とは、どんなお寺なのでしょう?天台宗のお寺で、奝純(元禄4年1691年寂)が開山したといいます。放光山初住寺と号します。

この辺りには、多くの清水の湧水池があるようですね。

                                   つづく