楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

実は、ここに行きたかったのです

2023-09-14 17:40:48 | 日記

大泉学園へと向かったのは、ここへ行きたかったのです。

こことは、東京都練馬区東大泉にある都市公園植物園)区立牧野記念庭園でした。さぁ、入りましょう。

丁度、アジサイの時期できれいに咲いてます。

こんなきれいなガクアジサイもありましたよ。

おやおや、何でここに郵便ポスト表示があるのでしょう? じつは敷石を見てください。この丸い敷石は、ポストの下にあった石を活用しているんですね。それで、この説明版があったのだ。

今度は、木の下でこんな像がニコニコ笑ってお迎えしてくれました。七福神の布袋尊像かな?

こんな見事な竹林もあります。ところで、練馬区立牧野記念庭園は1958年(昭和33年)に植物学者牧野富太郎の練馬区東大泉の自宅跡に、氏の業績を顕彰する庭園及び記念館として開園したのだそうです。2009年には、国の登録記念物(遺跡及び名勝地)に登録されました。2020年に東京都の名勝及び史跡に指定され、2023年には国の登録記念物は登録が抹消されています。園内には300種近い植物があり、牧野博士が命名したセンダイヤザクラや仙台で発見し亡き妻の名をつけたスエコザサ等が植えられています。現在は、牧野博士の次女・鶴代の孫である一浡(かずおき)が2010年より学芸員として運営に携わっているとのことです。

                         つづく


駅に近づいて来ましたね

2023-09-12 19:58:51 | 日記

今度は、小城山観音堂というお堂へ来ましたよ。

ここでも、地元の方たちが熱い信仰心を持って大事にされているんですね。きれいにお花が活けてありました。

豊島南長崎郵便局の2つ先の区画にあるお墓。コンコン通りという通りの入口にひっそりと在るのが、「伊佐佐兵衛」の墓です。伊佐家は今も存続していて、この近所に在るそうですが、個人宅なので特定するのは遠慮しておきます。現在は鳶職を仕切っていて、東長崎の駅前商店街・長崎銀座に年末に商店街に出る〆飾りの露店はこの伊佐さんのお宅が引き受けているそうです。そんなことから、ここ南長崎地域では昔から影響のあった家なんだろうなということは伺い知れ、神事の一端を担っているということで長崎神社(五郎久保神社)の氏子の中でも古参だそうですね。

ここが、その昔は「長崎神社」と呼んでたそうですが、正式名称は「五郎久保神社」。この「コンコン通り」という名称から、ここのご神体はお稲荷さんなんでしょうね。そのコンコン通り入口にひっそりと在るのが、「伊佐佐兵衛」の墓です。五郎久保稲荷神社は、豊島南長崎にある神社で、南長崎三丁目南部、四丁目、五丁目は、五郎窪と呼ばれていたことから、五郎久保稲荷神社と命名されました。全国でも数少ない北向の稲荷神社で、北向稲荷とも呼ばれていました。

何やら子どもの乗り物も並んでいますよ。ここは子どもの遊ぶ広場として開放しているようですね。

正面の別社は、榛名神社ということだそうです。それでは、駅へ向かいここから大泉学園方向へと行きます。

                   つづく

 

 


この先も面白そうですね

2023-09-11 11:59:12 | 日記

長崎公園で、一休みを終え次へと回りましょう。

この公園は、学習院大学の職員住宅跡地に平成8年につくられた公園です。豊島区では珍しくなってしまった「原っぱ」の公園で、ひょうたん型の築山のとなりは、雑木林風の空間と水遊びの出来る小川があります。公園の南側は芝生の広場と、区民の方が丹念に栽培しているバラ園があります。公園の外周をぐるっとレンガの小道が囲んでいて、ウォーキングを楽しむ人もいます。

公園を出て少し行くと、こんな建物にぶつかりました。これは介護施設だそうです。近くを見て回ると

こんな小さなお堂があります。ここにあるように、西向不動尊というお堂で東京都豊島区長崎2丁目30番地9号の住宅地の真ん中に祀られている、【長崎西向不動尊】といいます。旧長崎村西向(にしむかい)の人たちが大正15年に建立したそうです。最初は不動尊なのに「西向き?」と思っていたのですが、地名に由来する名前なのですね。この地より北の湧水のある洗い場にあったが耕地整理で現在地に移転。平成11年に再興されたそうです。昔はこの辺りにも湧水があったのですね。毎年五月あたりに例大祭があるとのこと。地元の方々に大切にされているのがわかります。

それでは、その先へと行きます。

今度は、住宅がの中に挟まれたようにして小さな鳥居が続いています。奥へ入って見ます。

小城稲荷神社と書かれた鳥居の奥に、祠があり本殿なのでしょうね。説明書きでは、小城稲荷大神は、豊島区長崎にある稲荷神社で、由緒は不詳ながら、小城八幡神社記念碑にある「江戸時代前期延宝年間(1678)小城八幡神社・稲荷神社・羽黒神社のお社を当時の村の有志の方々のお力で建立された」と記載のある稲荷神社と思われます。小城稲荷大神は、昭和22年10月創建、長崎三丁目町会長が代表者となり運営しています。

                 つづく

 

 


次へと進みましょう

2023-09-05 19:35:55 | 日記

少し進むと

神社の鳥居がありました。鳥居には八幡宮とあります。入って見ましょう。

由来書が立ってます。それを読むと、当長崎八幡宮は、鎌倉の鶴岡八幡宮より御霊を受けた分社です。御祭神は、応神天皇・比売神・神功皇后です。天皇陛下御即位十年を記念して、当八幡宮の社殿境内地の平成大改新を行いました。家内安全・開運・厄除・諸願成就・当大神様の御加護をいただける様、日々を感謝してお詣り下さい。とありました。それでは、日々を感謝してお参りいたします。

わぁ、怖い! こちらを睨んでいる狛犬がいます。

これは、長崎八幡神社の落慶碑です。長崎八幡神社の創建年代は不詳ですが、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請して江戸時代に創建したといい、現在長崎神社の境外末社となっています。ところで、長崎神社とこの八幡神社の関係は長崎神社の方が親なのですね。長崎神社は、豊島区長崎にある神社で創建年代は不詳ですが、長崎村の鎮守として信仰を集め、江戸時代の中期には十羅刹女社と称せられていました。明治の神仏分離令により十羅刹女神に代わり須佐之男命を祭祀し、氷川神社、そして長崎神社と改称し、現在に至ります。元来、櫛名田比売命を祀り、武州豊島郡長崎村(現在の豊島区長崎・南長崎・千早・要町・高松・千川と目白4・5丁目、西池袋4・5丁目、池袋3丁目の一部)の鎮守として信仰を集め、江戸時代の中期には十羅刹女社とも称せられ、境内には享保18年(1733)に奉納された「十羅刹女」と刻まれた手水鉢が残されています。隣接する金剛院は、明治元年(1868)の神仏分離令まで、長崎神社の別当寺でした。 その後、明治5年(1872)には村社と定められ、同7年須佐之男命を合祀して長崎神社と改称し、今日に至っています。精緻な彫刻物を有する本殿は嘉永2年(1849)に、拝殿は明治32年に建立されたもので、旧社殿は絵馬を納める額堂として使われています。ほかに山岡鉄舟揮毫の神社額と祭礼幟などがあります。 なお、元禄年間(1688-1704)に始まると伝えられる獅子舞は、五穀豊穣と悪病退散を願って江戸時代から長崎村の人々により伝承されてきた区内唯一の民族芸能として、平成4年に豊島区民俗文化財に指定されました。毎年5月の第2日曜日の祭礼では、氏子会や獅子達を中心とする地元住民により獅子舞が盛大に奉納され、9月の例大祭とともに多くの人々で賑わいます。ということでした。それぞれが結び合って、ここにあるのがわかります。

本殿へ来たので、お参りして次へと進みます。

何の建物でしょう?幼稚園か保育園見たいですね。

おやおや、公園に来ました。長崎公園と言うそうです。

丁度、木陰もあり一休みして行きましょう。

これは、何の囲いなんでしょうかね?犬猫用かな?

                 つづく  

 


今度は、ここから行きますよ

2023-09-02 19:40:11 | 日記

練馬区と豊島区の境目に位置するここ椎名町から出かけます。

西武池袋の椎名町駅北口へと出て来ました。

何と目の前に、こんな神社があります。長崎不動尊という神社で、地元の人が大切に守って来た神社です。ご覧のように、今日も近所の方がお掃除をしていました。先へと進みましょう。

今度は、このような立派な門構えのお寺へと着きました。

案内版には「金剛院」とあります。この金剛院と言うお寺は、真言宗豊山派の蓮華山金剛院と号します。金剛院の創建年代は不詳ながら、聖弁(永禄6年1563寂)が開山、江戸時代中期に当地へ移転したといいます。御府内八十八ヶ所霊場76番札所、豊島八十八ヶ所霊場76番札所です。ということで、なかなかのお寺なんですね。

この像は、開祖の聖弁というお方でしょうか? いや、弘法大師像かな?

たくさんの石仏が山を成して、開祖像を盛り立てていますよ。

こちらは、弘法大師堂というそうです。

やはり、こちらが開山和尚の碑だそうです。

本堂は、このようにやや質素な感じでした。

                   つづく