楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

今日は、こちらを歩きます

2022-07-30 17:41:06 | 日記

出発する駅は、こちらからです。

春の気持ちよい季節です。見えますか、この見事な八重桜が。

駅のすぐ近くにあるこの神社へお参りしてから行きます。

ここは、祭儀殿という建物だそうです。ところで、この武蔵野稲荷神社は練馬区栄町にある稲荷神社で、創建は不詳ですが、当社本殿は小高い塚の上に鎮座しており、その塚は文明9年(1477)、江古田・沼袋の戦で太田道灌によって滅ぼされた豊島軍の死者を葬った豊島氏の塚との言い伝えがあることから、その塚の守り神として創建されたのではないかといわれています。

大黒天も祀られているのですね。

稲荷神社というだけあって、幟も賑やかに立っています。

こちらが本殿になります。明治、大正から昭和と、商家、歌舞伎役者、馬主、事業家等の信仰を集め、平成となった現在でも除災招福、病気平癒、商売繁昌の祈願が多いそうです。弥栄天神は京都北野天満宮より勧請されたもので、境内建造物は、大正7年(1918)建築の際儀殿を除いて、昭和50年から5ヶ年計画で、本殿、拝殿、鳥居、随神門と新築整備されたものです。その際、塚の後の割れている所は、本殿整備のため埋め戻された。手水舎は大黒が臼造りをしている珍しい作品である。との説明でした。あの大黒天は、手水舎でもあったんですね。
参道はサクラ、イチョウなどの落葉樹がトンネルのように茂り、春は花、秋は紅葉で彩られます。なお、昔は「三の稲荷」とも言って、三の日の縁日は大変な人出で賑わったが、今は行われていないそうです。

扁額といい、その周りの彫刻といい見事なものでした。

                          つづく


そろそろ引き揚げますか

2022-07-26 10:30:47 | 日記

駅へ向かっていると、今度は大きなお寺が見えて来ました。西武新宿線「狭山市駅」西口下車して、南西に徒歩7分の狭山市駅交差点の近くです。

入口の山門には、こんな見事な龍の彫り物がほどこされています。

さらに仁王像も立っていました。

六地蔵が祠の中にきれいに納まっています。

これは、梵鐘堂のようです。

お堂の傍に。いわくありそうなお地蔵様があり、説明文も立っています。黒こげ地蔵というそうです。慈眼寺裏のお堂の中に、黒くなったお地蔵さんが祀られています。元禄15年(1702)、同寺の檀家の人たちによって建てられた地蔵菩薩で、その姿から黒こげ地蔵(別名:イボとり地蔵)と呼ばれています。

このお寺は、慈眼寺(じげんじ)といい、埼玉県狭山市の入間川にあり、妙智山(みょうちざん)と号する曹洞宗の寺院です。慈眼寺の草創は正長元年(1428)に草庵が結ばれ、後の大永年間(1521~1528)に一樹和尚によって開山されたと伝えられています。本尊は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)。現在、武蔵野三十三観音霊場の第十六番観音を本尊としていますが、以前は阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)でした。狭山市指定文化財にもなっている慈眼寺の寺宝・阿弥陀如来像は、像高73cmの一木(いちぼく)造りで、安阿弥(あんあみ)の作と伝えられています。制作年代は鎌倉時代と推察され、市内最古の仏像とされています。

                       それでは、この稿を終わります。

 

 


綺麗な花を愛でながら快調です

2022-07-17 12:26:51 | 日記

先へと歩いていると、こんな見事な八重桜が咲いていましたよ。

駅の近くへと戻って来ました。

大きな字で白山神社とあります。白山神社(入間川)は、狭山市祇園にある白山神社(入間川)で、創建年代等は不詳ながら、樹齢700-800年のケヤキがあったといいます。

大きな狛犬が見守っています。

お参りしている方もいました。

本殿の左側に、線路沿いに面して稲荷社があります。近辺のお商売の方たちがお参りに来るんですね。

今度は、遊園地の中に小さな祠がありましたよ。近くに立案内板がありました、見て見ましょう。

何だか由緒ありそうな神社ですよ。諏訪神社(入間川)は、狭山市入間川にある諏訪神社(入間川)で、正徳年中(1711-1716)に藤原正如が勧請したものと伝えられ、入間川村のうち入間川の鎮守だったといいます。明治5年村社となり、明治44年中入間川の春日神社、その境内社を合祀しています。当社は入間川右岸の河岸段丘上に鎮座していて、社の西側、つまり、入間川寄りは、ハケと称する窪地になっており、現在は住宅が建てられていますが、古くは、ここはお諏訪様の池と呼ばれ、清水が湧き出ていたそうです。また、近くには今でも泉の湧いている所が二カ所ほどあり、もとは飲料水に利用されていました。更に、当社周辺に家を構える人々が使用している井戸は深さ一二、三尺の浅い所から水が出るといわれ、当地が水の便のよい地であることを示しています。以上のことから、当社の創建についても、段丘のハケから湧き出る水と、これを利用する村人の生活と深い関係があると思われ、この、お諏訪様の池に住む竜神の話があります。村人が畑仕事を終え、池のそぼを通りかかるとにわかに水が吹き上がり、竜神が狂ったように悶え苦しんでいた。これを見た村人は、たまたま手に持っていたナスを竜神に与えたところ、竜神の苦しみはたちまち和らいだという。以来、竜神はこれを感謝し、村人が病に苦しまぬように守護することを誓った。そのため、村では毎年夏になると竜神にナスを山のように供え、このうちのいくつかを受けて帰る習わしになったと伝えられ、このナスを食べると一年間無病息災であるといわれているそうです。

小さい社ではありながら、なかなかの由緒がある神社だったのですね。

                        つづく


今度はこんな神社に来ましたよ

2022-07-08 08:49:40 | 日記

かなり高い階段が続いています。ここは旧入間川村の総鎮守で、八幡神社といい過去に数回の火災に遭遇して古記録を失ったため、その創建年月は不明です。祭神は応神天皇で、慶安2年(1649)10月には江戸幕府から5石1斗余の朱印地を賜っています。

立派な社殿がありました。本殿は市指定文化財で、ほかに県指定文化財「さはりの壷」があります。

向かい側には、神楽殿があります。

これは、同社に残る『八幡神社縁起』によると、元弘3年(1333)5月に新田義貞が鎌倉幕府を攻めるため当地へ兵を進めた際、戦勝祈願に参拝したとあり、境内には義貞が馬をつないだという「駒つなぎの松」があり、これがその松の名残です。

神社の裏手には、末社なども数多くあります。境内社には、「思兼神社(太子さま)」「琴平神社(こんぴらさま)」「八雲神社(天王さま)」「大鷲神社(市神さま・お酉さま)」があり、それぞれ祭礼が行われます。

                            つづく