楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

今日は、ここから出発だ

2021-10-27 11:46:07 | 日記

見えますね八坂神社という標柱が、でもここは京都ではありません。東村山です、それではここ八坂神社は、どういう神社なのでしょう?

東村山市栄町にある神社で、八坂神社の創建年代は不詳ですが、旧別当寺であった正福寺の創建とほぼ同時期に創建したものと考えられ、弘安元年(1278)前後から応永14年(1407)前後に創建したのではないかといいます。明治維新までは牛頭天王社・野口の天王さまと称されて大いに賑わったといいます。明治2年に八坂神社と改称、同年村社に列格しました。当社の前を通る鎌倉街道(府中街道)の拡幅工事に伴い、平成元年建造物を一新しました。八坂神社所蔵の文化財には、八坂神社(天王さま)の大獅子頭があります。この一対の大獅子頭は、文久3年(1863)に櫻井富右エ門、鈴木勘左エ門、松田定右エ門、五十嵐喜兵衛によって奉納されました。八坂神社の祭神牛頭天王(通称「天王さま」素盞嗚命と同体とされる)は疫病除けの神として信仰されていますが、以前は疫病が流行るとこの大獅子頭をかぶって村内を巡ったそうです。祭礼の際などに魔除け厄除けを目的として大獅子頭を練り歩く風習は他の地域でも知られています。八坂神社では今では大獅子頭を練り歩くこともなく、7月の祭礼の時だけ、本殿の回廊に奉安されることとなっています。と、このような説明でした。

それでは、次へと参ります。

今度は、また神社へ来ました。ここは廻田町という場所です。そして、この神社は金山神社と言うそうです。

では、この神社はというと、廻田金山神社は、東村山市廻田町にある金山神社です。金山神社の創建年代は不詳ですが、中世に鍛冶職であった小町大膳左京主水が、鍛冶の神である金山神を邸内に祀ったことに由来すると伝えられます。江戸期には御嶽権現を合祀、明治10年には稲荷社(廻田稲荷神社)を合祀、明治40年に村内の神明社、戸隠神社を境内に遷座しています。明治6年に村社に列格しました。ということでした。

大きなご神木の名残かな?  それではこの辺で次回に・・・。

                             つづく

 


それでは、そろそろ引き揚げましょう

2021-10-23 16:48:59 | 日記

ところで、言い忘れていましたが、ここには地酒「天覧山」というおいしいお酒もあるそうですよ。それでは、山を下りてそろそろ帰りましょう。

この像は何の像なのかな?

ありました、こんな説明版でした。

駅に近くなって来ました。どこにもあるんですね、銀座が・・・。

でも、やはりこれが飯能ですよ。いい眺めですね。

それでは、これにて飯能の街からお別れします。次はどこへ行こうかな・・・。

                               おわり

 


それでは天覧山に上って見るか

2021-10-18 16:44:11 | 日記

ところで、能仁寺の庭園には寄らなかったのですが、能仁寺は天覧山の南急斜面を巧みに取り入れていて、背後に枯滝を組み、下部を池泉とした上下二段式庭園の典型的なものです。築山、亀島、鶴島、石橋、洞窟などを備え、池は底部が全て20cm前後の玉石で固められるなど幾多の傑出した手法や造形を見せていることで桃山時代の作庭と推定され、日本名園百選に入っております。東日本の代表的な名園として、貴重な存在であるとともに、飯能の文化財としても誇れるものの一つです。庭園および本堂拝観料として有料になっています。

天覧山という山は飯能駅近くにある奥武蔵の山で、勾配は緩やか、195mと低山ながら富士山や遠く丹沢の山々まで望めます。山頂から北西に続くハイキングコースを辿ると、そこは多峯主山(とうのすやま)という山になり、途中に子ども用の鎖場もあります。山頂は見晴しが良く、伊豆ヶ岳など奥武蔵の山々や飯能の街を眺められます。明治天皇が登頂されてこの名称で呼ぶようになり県指定名勝第一号となりました。標高は低いが眼下には飯能市街が見渡せ、春の桜、ツツジ、秋の紅葉が美しく奥武蔵自然歩道の出発点になっています。徳川五代将軍綱吉の病気平癒の感謝のしるしに十六体の羅漢像を寄進した―という旨を説明する看板も近くにあります。

どうですか、この素晴らしい景観は登った甲斐がありました。

                           つづく


大きなお寺に到着しました

2021-10-16 09:54:04 | 日記

ここは何というお寺なのでしょう?

能仁寺というそうです。

立派な門です、中雀門というそうです。この中雀門は夜間閉じられているが、その正面に本堂、左側は開山堂(位牌堂)とならんでいて、右手には人間国宝香取正彦が鋳造した梵鐘を吊した鐘桜堂の先に大書院があるということです。

威風堂々たる構えですね。

ところで、この能仁寺というお寺はどんなお寺なのでしょうか、曹洞宗の能仁寺は、武陽山と号します。中山家勝が曹洞宗通幻派の名僧、斧屋文達師を招いて文亀年間(1501-1503)に創建したと伝えられ、中山家勝の子家範が寺院としての寺容を整えたといわれます。天正19年5石の朱印状を拝領、宝永2年(1705)には50石の朱印状を拝領し、末寺20ヶ寺を擁する中本寺格の寺院でした。飯能戦争のときに振武軍の本陣となったため本堂をはじめ悉く焼失しましたが、本堂は昭和11年に再建しています。能仁寺所蔵の文化財:池泉鑑賞式蓬莱庭園(飯能市指定文化財)中山勘解由三代の墓(飯能市指定文化財)となっています。大正十一年(1922)埼玉県が初めて指定した名勝としての天覧山を背後に控え、門前にはここへ至る長い山道の坂下に名栗川の清冽な流れがあります。深山からの湧水を庭前に引き、その水で口を漱いで修行したという禅僧と禅宗寺院のあり様が、そのままこの寺にも当てはまるような迦藍配置になっています。山門を入ると、杉林の木下に続く砂利道、参詣する人の足音が静寂の中で心地よく響き、江戸時代、二十の末寺を有した飯能地方有名な大寺として、五十石の御朱印をいただき重きをなしてきたが、飯能戦争の災厄や元文二年(1737)の火災など、順調な歴史ばかりではなかったということです。

モミジが綺麗です。この時期には訪れる人も多く、名所にもなっているそうですよ。

これが開山堂でしょうね。

                            つづく

 


今度はここへ来ました

2021-10-14 10:32:14 | 日記

武蔵野七福神・飯能恵比寿神社という幟がたっています。

広々とした境内です。

ところで、この恵比寿神社とはどんな神社なのでしょう?

諏訪八幡神社と言うそうです。神社は永正13年(1516)初春11日に、加治菊房丸等の勧請により創建、天正12年(1584)7月に加治勘解由左衛門家範が再建、恵比寿大神を勧請したと伝えられます。境内の恵比寿大神は、武蔵野七福神の恵比寿神です。神社の西側が飯能市郷土館、北側が飯能市民会館です。

大きなタブノキがありました。近くには

 怖い顔をした狛犬じゃなくて、狛獅子みたいです。また周りを見て行くと・・・

郷土資料館だそうです。

それでは、また先へ行って見ます。

                                   つづく