楽しいお散歩

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

彼の有名な画家の記念館へ

2018-10-26 13:51:23 | 日記

「蕨(わらび)」という地名がいつごろ生じたのかは不明ですが、文献上では1352年8月17日観応3年6月29日)付の「賀上家文献」で、「蕨郷上下」と記されています。蕨市役所付近には古来の日本住宅など多く残されており、旧中山道沿いに栄えた当時を偲ばせる建物も多くありました。

河鍋暁斎(1831~1889)は幕末から明治にかけて活躍した狩野派の人気絵師で、道釈人物画から浮世絵版画、戯画・風刺画まで幅広い作品を描きました。記念美術館は1977年に暁斎の曾孫にあたる河鍋楠美氏が自宅を改装して開館したもので、同館では肉筆、版画などの完成作品のほか、下絵、画稿など多数所蔵し、常時40点ほど展示しています。

さらに進むと、蕨春日神社という神社へ来ました。蕨春日神社の創建年代は不詳ですが、当社に隣接して日蓮宗本法院があることから、両寺の守護神として三十番神として創建したのではないかと考えられます。

この神社には、春日神社木造三十番神立像(市指定有形文化財)という立像があり、三十番神立像は一月(旧暦)三十日を毎日交代で「法華経」を守る神様として春日神社の前身である三十番神に納められたものです。この三十番神立像は、基本的には一材でつくられ、顔かたちが個性的で像全体がていねいに彩色されており、また台座の底部には三十番神立像を奉納した本法院の檀家と思われる人名が記されています。残されている資料を総合すると、江戸時代の享保(一七一六~一七二六)頃に造立されたものと考えられます。造立時期が古く、造立背景が分かり、また保存状態も良いことなどから、蕨を代表する文化財のひとつとして大変貴重なものです。

 

                                     つづく


街を歩いて見ると

2018-10-23 19:47:09 | 日記

 中山道蕨宿という道標が目につきました。ここはやはり、中山道の要でもあったのですね。

何とも、宿場町らしい建物も残っています。

今度は、地蔵の小径という道標がありました。

道路の下には、中山道六十九宿の中の愛知川宿という標識も、昔の浮世絵も描かれています。

何やらちょっとした広場に、ちいさな櫓があり、周囲の塀には絵が描かれています。

かたわらにはベンチもあり、休憩もできます。

「中山道ふれあい広場」という道標と案内板がありました。

 

                                    つづく


この町の「町起こし」を見た

2018-10-19 19:49:32 | 日記

やって来た神社は、まだ新しいようですね。

目の前に、高橋新五郎遺跡という説明版がありました。この人物は、何者なのでしょう?

すぐ傍には、石碑が建っています。

この遺跡は「機神社」「はた神さま」とも呼ばれ、二代目高橋新五郎とその妻いせ、そして新五郎の信仰した関東宮が合祀されたものです。高橋新五郎は寛政三年(一七九一年)に生まれ、糸綿商の父の後を継ぎ、青梅、足利地方を往来するうちに、織物の生産を決意し、従来の「たかばた」に改良を加えました。この織機は後に高橋家の屋号「あずまや」から「あずまやたかばた」と呼ばれ、広く機業家に普及しました。文政八年(一八二五年)頃、この織機を使って「青縞」の生産を行い、さらに品質の向上をはかったので、当時の江戸の市場を圧倒する人気を得ました。この業績をたたえ後世の人々が「はた神さま」として祀り、毎年八月には新五郎の創業の日を記念し、「わらび機まつり」が行われています。

なかなか立派な彫り物がされていますね。

機神社(はた神社)という額が収められていました。

 蕨市は、織物の町でもあったのですね。

                                           つづく

 

 

 


指定文化財の多い神社です

2018-10-14 09:11:02 | 日記

蕨市の塚越というところにある神社に来ました。塚越稲荷神社の創建年代は不詳ですが、明応年間(1492ー1501)の創建とも貞享元年(1684)の創建ともいいます。当社社殿の鎮座する丘は、経塚と言い、玄快という廻国の沙門(出家僧)が伏見稲荷に参籠の折、お告げにより当地に法華経一万部を埋納した経塚を築いたもので、この塚より塚腰(塚越)の地名の由来となったといいます。

塚越稲荷神社本殿(市指定有形文化財)この覆屋に納められている建物は、塚越村大荒田の鎮守であった稲荷社の本殿です。一間社流造で、身舎(母屋)の幅〇・九m、奥行〇・七七m、向拝(庇)〇・七五m、屋根はこけら葺きとなっております。蟇股・虹梁・肘木などの形から本殿の建物は、十八世紀後半と考えられます。この本殿は、向拝柱に禅宗様が取り入れられるなど細部の装飾にも特徴があり、覆屋に納められているため保存状態も良く、本市及びその周辺の神社本殿建築の流れを知るうえで欠くことのできない貴重な建物です。

猿田彦大神碑(市指定有形文化財)稲荷神社木造三十番神立像です。この石造物は、碑の部分正面上部に、瑞雲を伴う日月が、線刻されており、各面に紀年銘及び、道しるべの刻銘がされています。材料は安山岩です。猿田彦大神は、天孫降臨に際し、道案内をした神として神話に登場しますが、さいの神、ちまたの神、あるいは道祖神とされています。もともと近くの道ばたにあったものといわれ、庚申信仰に基づいて造立されたものと思われます。

                                            つづく


蕨市へ来ました

2018-10-10 11:47:47 | 日記

今日は、埼玉県の蕨市を訪れました。しばらく歩いていると、

立派な門構えの家に、板倉家と言うそうです。この板倉家には庚申塔がありますが、なかなかのものだそうです。

板倉家庭内にあるこの庚申塔は、寛政4年(1792)に七良右衛門が願主となり、庚申講中21人によって造立されたもので、正面には、青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)・邪鬼(じゃき)・三猿〔見ざる・言わざる・聞かざる〕などが浮き彫りにされています。台座には、体内に住む三尸(さんし)という虫が、人間の寿命を縮めるという道教の教えにちなんだ「三彭(さんぽう)」の銘文が刻まれています。また、塔の左側面と台座正面には、川口市の善光寺への道しるべが刻まれています。

また、少し進むと小さな神社が、この神社は何やら個人のお宅の前にあり、個人で信奉しているのでしょうか?

先へ進みましょう。

蕨市民公園と言うそうですが、日本一面積が狭く人口密度が高い市と言われる埼玉県蕨市の東側にある公園です。公園の面積は約3.3haと蕨市内最大規模を誇る園内には、大きな木製のアスレチック遊具やブランコ、砂場などの施設や、こども広場、多目的広場など子供達が遊べる施設が揃っています。また、せせらぎや池、小川などの水遊びが出来る施設もあります。池には、おたまじゃくしやメダカ、ザリガニなどが生息していて、それらの生き物を捕まえたり触ったりすることが。子供達が自然と生き物に触れ合える公園です。その他に、園内では事前に申請すれば指定のスペースでバーベキューをすることが出来ます。

もよりの駅からは、JR京浜東北線の蕨駅から南東方面に徒歩で約15分のところ、西川口駅からは北北西方面に徒歩で約15分のところにあります。または蕨駅西口から「蕨市コミュニティバスぷらっとわらび」の東ルートに乗り、「東小学校」や「市民公園」バス停で下車して徒歩で数分のところです。車の場合は、東京外環自動車道の川口西IC、外環浦和ICから約3kmのところです。駐車場は無料駐車場が用意されています。

                                     つづく