楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

さて、それでは帰りのコースへ

2023-11-21 20:42:48 | 日記

普光妙寺を出て大通りから眺めると、やはり、こんなに大きなお寺だと見直しました。

橋を渡って駅の方向を目指します。

そろそろ陽も陰って来たようですよ。

おやおや、また、こんなお地蔵様のある場所へと来ました。

普通の民家のようですが、以前はお堂になっていたような感じにも見えます。それでは、次回に調べて報告することにします。

                   つづく


何とも大きいお寺に驚いた

2023-11-06 20:17:53 | 日記

さて、中へ入って見て見ましょう。

木が生い茂った広い境内です。

竹林もあり涼しそうですね。忠魂碑が2基も建っています。

ここは、地蔵堂でしょうか、屋根の形が目を引きます。

本堂へ来ました。見てください、この立派な建物を思わずお参りしている人との対照が。

ところで、ここでお寺の住職さんとお会いして話すことが出来ました。丁度、庭の手入れをなさっているところでしたが、このお寺を維持して行くことの大変さを感じました。お顔は掲載しませんが、優しそうな方でしたよ。

古めかしい菩薩像などいろいろな石像が並んでいました。ところで、この普光明寺というお寺はどんなお寺なんでしょう? 真言宗智山派の寺院で、寺伝によると大同元年(八〇六)に律宗の比丘が開山したと伝えられています。本尊は不動明王です。鎌倉時代の正安三年(一三〇一)、金沢称名寺の第三代長老である湛睿が記した『観経玄義分見聞集』の奥書には「・・・于時 正安三年辛丑五月廿二日羊尅 於武蔵国新倉郡大和田郷普光明寺令書写了」とあり、当時学僧であった湛睿が、普光明寺において書き写したことが見えます。この普光明寺と、その周辺(大和田郷)は、すでに鎌倉幕府の支配下にある土地(国衙領)でした。江戸期には、泉蔵院(竹間沢)千光寺(上宗岡)地蔵院(亀久保)、龍泉寺(大和田・廃寺)、長勝院(館)、西光院(針ケ谷・廃寺)、観音寺(下宗岡・廃寺)の七ヶ寺を末寺・門徒寺として擁していた小本寺格の寺院でした。本堂前にある地蔵堂には、源頼家が奉納したと伝える千体地蔵尊が納められています。これは、三十三年ごとに開帳の行われる秘仏です。山門は、享保年間の建立と言われ、「その作り工にしてことに高し」と江戸時代の『新編武蔵風土記稿』に記されています。中央に掲げられた扁額の「福壽山」は江戸の書家、佐々木玄龍の筆によるものです。普光明寺には、中世の末から両墓制という、墓石を建てる場所(境内)と、遺体を埋葬する場所(三本木・ハケ上)を別にする風習が見られたそうです。

                          つづく

 

 


しばらくお休みしてました

2023-11-03 11:12:28 | 日記

今、大和田氷川神社へ来てます。それでは、境内を一回りして見ましょう。

ここには、小さな社があります。狛犬も左右に鎮座していますよ。

どうやら、ここが本殿のようです。ちょっと寂しい感じに見えますね。

「お前は何者じゃ」という顔で睨まれました。

見事なしめ縄に目が行き、その下にはきめ細かい彫り物が見えました。

また、傍らには見事な装飾瓦が飾られていました。それでは、お暇して次へと進みます。

出ると、すぐ傍にお寺もあります。普光明寺というお寺でした。

このお寺は、どんなお寺なのでしょう?中へ入って見ることにします。

                  つづく