楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

そろそろ帰るかな

2024-05-30 11:50:51 | 日記

ここから比較的近くにも、大きなお寺があります。そちらへ回って帰ることにします。

入口には、仁王門があります。失礼します、

福徳元年の月待板碑でしょうか?

境内には、数多くの石仏、石碑などがあります。こちらのお寺の文化財には、一括文書が練馬区の指定文化財のほか梵鐘、福徳元年の月待板碑1基などがあります。

こちらは、三十番神社といわれる祠です。

梵鐘堂もありました。

こちらは、祖師堂と呼ばれるお堂です。

見事な日蓮上人像です、あの有名な彫像家の北村聖望作によるものの様です。

本堂へと来ました。こちらの日蓮宗寺院の妙福寺は、もともと天台宗の寺院として嘉祥3年(850年)に草創し、鎌倉時代に元亨2年(1322年)日祐上人というお方により日蓮宗に改宗したそうです。近くに、幼稚園を擁し、地元の地域にも溶け込んで奉仕の精神を提供しているようですよ。それでは・・・、

                       この稿終わり

 


お寺の前は工事中でしたが、

2024-05-27 11:24:01 | 日記

次の目的地は、本照寺というお寺です。ここには、古い墓石などが数多くあるそうですよ。

ここは、埼玉方面へと流れている白子川です。ここを渡って北西方向へと向かいます。

本照寺の入口へ到着です。門の前は駐車場になっていて、かなり広い場所になっています。丁度、そこを工事中でしたが中へは入れるようですね。

門をくぐると、

子育て地蔵堂があり、その先にも

こんなに沢山のお地蔵さまと日蓮上人像がありました。

案内版も立ってます、ところで、ここ本照寺は天正10年に日勇上人という方が創建したそうです。

明治時代には、小樽村(現、大泉)の役場として使われたこともあり、本堂改築の際には主柱の下から板碑が発見され、創建と何らかの関係あるものではと「日蓮題目板碑」といわれています。また、境内には、慶安(1648~52)、万治(1658~61)、元禄(1688~1704)などの記銘された古い墓石が数多く見えます。

ここが本堂ですね。

扁額には、「了光山」とありました。それでは、もう少し先へ行って帰りたいと思います。

                       つづく


途中に、こんな場所がありました

2024-05-24 10:23:07 | 日記

次の目的地へと、大泉小学校に沿って前へ進みます。

何やら大きな石碑や燈篭などが集まっている公園のような場所です。

立札もありました。旧大泉村役場跡とあります、旧大泉村役場跡は、練馬区に編入される前にあった大泉村の役場があった場所です。大泉村は、新座郡小榑村(現、大泉学園町・西大泉・南大泉)と橋戸村(現、大泉町)が合併した榑橋村と北豊島郡石神井村大字土支田(現、東大泉)と新倉村長久保が合併して明治24年に成立、大正11年当地に村役場が建設、大泉村が板橋区に編入された後も公共施設として利用されたいたものの、老朽化により昭和54年取り壊されたといいます。明治二十二年(一八八九)町村制の施行で、埼玉県新座郡に属していた小榑村(現、大泉学園町・西大泉・南大泉)と橋戸村(現、大泉町)は合併して榑橋村となりました。同二十四年榑橋村は東京府北豊島郡に編入、同時に石神井村大字土支田(現、東大泉)と新倉村長久保を合して大泉村が成立しました。村役場は初め、ここから西約二百メートルの本照寺隣接の村長宅に設けられましたが、大正十一年(一九二二)新しくここに村役場の建設をみました、翌十二年(一九二三)には武蔵野鉄道東大泉駅(現、大泉学園駅)ができ、村発展のきざしがみられる時期でした。大泉村役場建築記念碑には村長はじめ多数の村民の氏名が刻まれ、新しい期待がこめられています。それから幾年月、板橋区時代、練馬区独立を経て、建物は公共施設などとして利用されてきましたが、昭和五十四年老朽化のため取り壊されました。とありました。

歴史ある場所だったのですね。それでは、村長宅のあった本照寺へと行って見ましょう。

こんな広い道路へ出ました。あれっ、この道路は今話題になっている善行院というお寺につながっている道路ではないでしょうか?

今度は、ちょっとした神社へ到着しました。

稲荷神社と書かれた立札がありました。何という稲荷神社なのでしょう?

練馬区西大泉にある稲荷神社で、堤稲荷神社といい、創建年代等は不詳ながら江戸時代初期頃から祀られていたと伝えられ、当地周辺が小榑村小名堤、或いは小榑村小名四面塔と呼ばれていたことから堤稲荷、或いは四面塔稲荷と呼ばれているといいます。

拝殿奥の覆屋内に建てられている本殿は平成九年三月「西大泉の稲荷神社本殿」として練馬区有形文化財に登録されました。棟札には元治二年(一八六五)銘があり、江戸時代末に建てられたことが判ります。一間社、流造り、銅板葺きの小祠で、彫刻が随所に施されています。渦巻き紋様の大きさなどに当時の建築の特徴が見られます。

本殿へと来ました。境内の広場の割には建物はしっかりしたものですね。

これは、本堂の屋根瓦の装飾です。それでは、小休止してまた出かけます。

                    つづく

 


次へと進みましょう

2024-05-22 17:58:57 | 日記

近くにあるのが北野神社です。そちらへと向かいます。

大泉小学校の近くでもあり、東大泉の4丁目になります。

 

ここは稲荷社ですね。

狛犬も、怖い顔してますよ。

手水鉢には、梅の花が描かれていますね。境内は広々しています。

案内版によると、創建年代は不祥ですが、江戸時代初期には三十番神社として創建され、土支田村の鎮守として祀られていたそうです。その後、明治の神仏分離令により北野神社と改称し、土支田村の村社となりました。

本殿はこじんまりしながらも、雰囲気の良い社殿でした。

 扁額は、わかりやすくきれいに描かれています。

                      つづく

 


ご無沙汰しております。

2024-05-19 19:53:56 | 日記

しばらくお休みしていた散歩も、元気にまた頑張ります。今日は、こちらから出発です。さぁ、改札口を出ると、

これはこれは、どこかで見たような漫画の像が立ってます。

道路へ向かって下ります。どうしてもお寺や神社へと足が向きます。

最初に向かったのは、こちらのお寺でした。駅から一番近いお寺で、妙延寺と申します。ここ日蓮宗寺院の妙延寺は、倍光山と称し、永禄11年(1568)に開山円乗陰日宣上人、開基加藤作右衛門が開創したといいます。江戸時代には、三十番神社(現北野神社)と併せて地域の信仰の中心となっていたそうです。境内には、一千五百ヶ寺ならびに一千か寺往詣成就の題目供養塔や、庚申塔・馬頭観音・地蔵尊など貴重な石造物が沢山あります。なお本寺には、幕末から私塾(寺子屋)が日々開かれていましたが、明治7年(1874)区内最初の私立明倫学校となり、同9年からは公立豊西小学校に昇格しました。現在の区立大泉小学校の前身です。本堂は和風重層唐破風の鉄筋コンクリートの重厚な建物で、昭和40年(1965)の落成です。また境内には樹齢400年という都保存樹指定の大イチョウもあります。

これが、その大イチョウの木ですね。

かなり古びた石塔が並び、観音菩薩像も立ってます。

本堂正面へと来ました。珍しい造りですが、唐破風の鉄筋コンクリートの建物で昭和40年に落成したそうです。

これが扁額です、日蓮宗の倍光山と称して永禄11年に加藤作右衛門という方が開創したしたそうで、江戸時代には近くの北野神社と併せて地域の信仰の中心となっていたとのことです。

                         つづく