楽しいお散歩

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 自然豊かな多摩地区、そこには歴史の宝庫の神社仏閣もありますね。

今度は、どこかな

2021-09-30 11:20:58 | 日記

やって来た場所は、神社でした。

なかなか怖そうな狛犬ですよ。

ケヤキの大木、これはご神木のようですね。

こんなに沢山のコマ狐が飾ってありましたよ。

お手玉でもしているのかな?

拝殿にやって来ました。野々宮神社(北入曽)と言うそうです。狭山市北入曽にある野々宮神社(北入曽)の創建年代等は不詳ながら、日本武尊の東征にしたがった社家が、当地に土着、日本武尊(蔵王神社)並びに大日孁貴命(神明社)を創建したと伝えられ、建仁2年・天正4年・元禄2年・宝永3年の再建棟札が残されているといいます。明治40年神明社・八雲神社・愛宕神社・稲荷神社・蔵王神社を境内に合祀しています。なお、同名の社が日高市野々宮の野々宮神社鴻巣市の野宮神社とあり、社家の先祖は日向国タカサダの地より来住、3家に分かれたといいます。こう言う説明でした。

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どういうお寺なのか寄って見ました

2021-09-29 10:47:12 | 日記

七曲井で見て来た通り、今日は常泉寺というお寺に来て見ました。

弘法大師像でしょうね。

真言宗智山派寺院の常泉寺は、蔵王山観音院と号し、創建年代は等は不詳ながら、狭山市WEBによると天正年間(1573-1592)に創建したのではないかといい、元禄2年(1689)に権大僧都法印教海が、入曽観音堂の地にから当地へ移転、中興したといいます。武州八十八所霊場73番です。これ以上のことはどうも分かりませんでした。

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やって来ました、ここは?

2021-09-28 11:57:34 | 日記

狭山市南入曽640-2にある神社です。入間野神社といい、建久2年(1191)の創建と伝えられ、旧号を国井神社、後に御岳大権現と称していたといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より10石の御朱印状を拝領、明治44年に大字水野にあった浅間神社を合祀、入間野神社と改めたといいます。入間野神社所蔵の文化財には、無形文化財として入曽の獅子舞(埼玉県指定文化財)があります。入曽の獅子舞は、埼玉県西部地方を代表とする郷土芸能として、毎年十月第三土曜日・日曜日に行われ、南入曽の金剛院と入間野神社に奉納されます。その理由は入間野神社はかつて御嶽権現(みたけごんげん)と称していましたが、金剛院はその別当寺(べっとうじ 神仏分離以前に神社に設けられた寺院)だったためで、土曜日は金剛院で揃獅子(そろいじし)が行われ、日曜日には本獅子(ほんじし)が入間野神社に奉納されます。これは神仏混淆(こんこう)であったころの名残といえます。と、このようなことでした。

このような別社もありました。

ご神木でしょうか、大きなケヤキの大木もあります。

なかなか立派な拝殿ですね。

お参りを済ませて、次へと参りましょう。

おや、今度はここへ来ました。何なのかなぁ?

何の碑でしょうか? よくわかりませんが、この前の七曲井と関係ありそうですね。

県の指定史跡「七曲井」とあります。行って見ましょう。

ここが、そうなのでしょうか? 何やら井戸の跡らしきにも見えますね。調べたところ、

七曲井は、竪堀り井戸を掘る技術が確立していなかった頃に造成された井戸で、平安中期に開拓と交通の便を図るため武蔵国府によって造成されたのではないかといいます。七曲井は、上部で階段状をなし、中央部では曲がり道、そして底近くでは回り道となっていることから、地元の人から「七曲井」と呼ばれ、少なくとも江戸時代中期まで利用されていたといいます。入曽観音堂に隣接していて、蔵王山常泉寺の境外仏堂です。常泉寺観音堂は、建仁2年(1202)の創建と伝えられ、常泉寺も元禄2年(1689)に現在地へ移転するまでは当地にあったといいます。当観音堂についての古事記等はなく、創立年紀は不詳ですが、建仁2年(1202年)9月創立という言い伝えが残っています。境内にも文保2年(1318年)の文字がわずかに残っている古い碑が残っています。また、観音堂の横には古くから「堀カ子ノ井ほりかねのい」があったとのことです。※入間郡には「堀難井」と呼ばれる大型の井戸が点在していますが、観音堂横の七曲井はそのうちのひとつです。むかし武蔵野は乾燥しやすい地で、水脈が深く数十丈という深さに至らないと水を得ることが出来ませんでした。文保2年(1318年)の大干ばつの時、地域の人々が観音様に祈り、古井戸を浚さらうと清水がコンコンと湧いてきたそうです。このことによって観音様は、一層大切に崇敬されたとのことです。井戸跡は現在も残っており、観音堂も寛政4年(1463年)の建立碑と宝永5年(1708年)2月の再建碑が残っています。観音堂の裏に隣接しています「七曲井」は、県指定文化財で、観音堂の中に安置されている本尊の「木造聖観世音菩薩坐像」は市指定文化財です。毎年1月11日に「観音待ち」と呼ばれるお祭りが行われ、市指定文化財の入曽囃子が上演されます。

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今日は、入曽に来ました

2021-09-26 08:58:52 | 日記

さぁ、街へ繰り出そう。

近くに、こんな碑がありました。

これが銀杏の木です。

先へ行って見ます。

お寺でしょうか? 入って見ましょう。

六地蔵も並んでいます。

見事な燈籠ですね。

金剛院というお寺でした。真言宗豊山派寺院の金剛院は、御嶽山延命寺と号します。金剛院の創建年代は不詳ながら、建久年間(1190-1197)の創建と伝えられ、天文年間(1532-1554)に深悦沙門が中興、慶安2年(1649)には三代将軍徳川家光から寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。武州八十八所霊場74番です。堂内には、享保元年(一七一六)玄慶作の木造不動明王座像をはじめ、室町時代以前の作と推定される木造地蔵菩薩立像など多数の文化財があり、また、境内にある四脚門は、天明二年(一七八二)に寛慶により建立されたものです。その他、当寺には、県指定無形民俗文化財となっている「入曽の獅子舞」が伝承されており、毎年十月十四・十五日に奉納されます。このような解説がありました。

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