狭山市南入曽640-2にある神社です。入間野神社といい、建久2年(1191)の創建と伝えられ、旧号を国井神社、後に御岳大権現と称していたといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より10石の御朱印状を拝領、明治44年に大字水野にあった浅間神社を合祀、入間野神社と改めたといいます。入間野神社所蔵の文化財には、無形文化財として入曽の獅子舞(埼玉県指定文化財)があります。入曽の獅子舞は、埼玉県西部地方を代表とする郷土芸能として、毎年十月第三土曜日・日曜日に行われ、南入曽の金剛院と入間野神社に奉納されます。その理由は入間野神社はかつて御嶽権現(みたけごんげん)と称していましたが、金剛院はその別当寺(べっとうじ 神仏分離以前に神社に設けられた寺院)だったためで、土曜日は金剛院で揃獅子(そろいじし)が行われ、日曜日には本獅子(ほんじし)が入間野神社に奉納されます。これは神仏混淆(こんこう)であったころの名残といえます。と、このようなことでした。
このような別社もありました。
ご神木でしょうか、大きなケヤキの大木もあります。
なかなか立派な拝殿ですね。
お参りを済ませて、次へと参りましょう。
おや、今度はここへ来ました。何なのかなぁ?
何の碑でしょうか? よくわかりませんが、この前の七曲井と関係ありそうですね。
県の指定史跡「七曲井」とあります。行って見ましょう。
ここが、そうなのでしょうか? 何やら井戸の跡らしきにも見えますね。調べたところ、
七曲井は、竪堀り井戸を掘る技術が確立していなかった頃に造成された井戸で、平安中期に開拓と交通の便を図るため武蔵国府によって造成されたのではないかといいます。七曲井は、上部で階段状をなし、中央部では曲がり道、そして底近くでは回り道となっていることから、地元の人から「七曲井」と呼ばれ、少なくとも江戸時代中期まで利用されていたといいます。入曽観音堂に隣接していて、蔵王山常泉寺の境外仏堂です。常泉寺観音堂は、建仁2年(1202)の創建と伝えられ、常泉寺も元禄2年(1689)に現在地へ移転するまでは当地にあったといいます。当観音堂についての古事記等はなく、創立年紀は不詳ですが、建仁2年(1202年)9月創立という言い伝えが残っています。境内にも文保2年(1318年)の文字がわずかに残っている古い碑が残っています。また、観音堂の横には古くから「堀カ子ノ井ほりかねのい」があったとのことです。※入間郡には「堀難井」と呼ばれる大型の井戸が点在していますが、観音堂横の七曲井はそのうちのひとつです。むかし武蔵野は乾燥しやすい地で、水脈が深く数十丈という深さに至らないと水を得ることが出来ませんでした。文保2年(1318年)の大干ばつの時、地域の人々が観音様に祈り、古井戸を浚さらうと清水がコンコンと湧いてきたそうです。このことによって観音様は、一層大切に崇敬されたとのことです。井戸跡は現在も残っており、観音堂も寛政4年(1463年)の建立碑と宝永5年(1708年)2月の再建碑が残っています。観音堂の裏に隣接しています「七曲井」は、県指定文化財で、観音堂の中に安置されている本尊の「木造聖観世音菩薩坐像」は市指定文化財です。毎年1月11日に「観音待ち」と呼ばれるお祭りが行われ、市指定文化財の入曽囃子が上演されます。
つづく